ウェイン・ショーター

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 ジャズを少しでもかじった人ならウェイン・ショーターの名前を知らぬものはいないであろうが、彼の経歴を辿ってみると、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズ、マイルス・デイヴィスのハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズを擁した究極のクインテット、ジョー・ザヴィヌルとのあまりにも有名すぎるユニット、ウェザー・リポートというように、常に最高のバンドでの要の役割を果たしている。
 彼のサックスのプレイ自体ももちろん非常に素晴らしいが、コンポーザーとしての才能もずば抜けている事は、彼のことを知っている人は誰しも知っているであろう。

 そんな彼でも完璧主義からか、周りのプレッシャー故なのか、80年代以降は彼名義のリーダー・アルバムの発表のペースが極端に落ちているが、それはともかく1995年に発表されたアルバム「ハイ・ライフ」は恐るべき作品である。
 そのアルバムの完成度の割にはあまり注目されなかったように思うし、私も当時アルバムの存在を知りつつもなんとなく最近まで聴かずに済ましていたが、彼の新作のライヴ・アルバム「フットプリンツ・ライヴ!」のライナーにこの「ハイ・ライフ」が過小評価されていることを嘆いていた文章を読んで興味を持ち、試しに買って聴いてみたところ、あまりに素晴らしく、今までこのアルバムの価値を知らなかった自分を恥じてしまったほどであった。
 正直、このアルバムの第一印象はかなり地味な感じであった(ジャケットは少なくとも絶対地味だ)。このアルバムの売りはマーカス・ミラーがプロデュースし、ベース・プレイヤーとしても全面的に参加しているというものだが、それが逆に変な先入観を持たせてしまったのかもしれない。しかし、このアルバム、聴けば聴くほど素晴らしさがどんどん滲み出てきてくるのである。

 このアルバムの最大の聴きどころはウェイン・ショーターの作曲とアレンジ双方の素晴らしさであろう。アルバムの中のほぼ半数の曲ではオーケストラが参加しているが、ウェイン特有の浮遊間溢れる和声、うねうねしたメロディーラインがオーケストラのサウンドで演奏されると、えもいわれぬ宇宙的な広がりが立ち表れるのだ。オーケストラと言っても弦楽器はそれ程大編成ではないのでいわゆるシンフォニックな響きとは多少違うのだが、ギル・エヴァンスの少しクセのある独特の色彩感、クラウス・オガーマンの唯一無二の絹の様なサウンド、ウェザー・リポートのカラフルで楽園的なサウンドが絶妙な割合でブレンドした様なオーケストラの響きが、マーカス・ミラーの自在なベースラインの上で漂う様は麻薬的な魅力を持っている。オーケストラが使われていないその他の曲でもシンセやギターが巧みなプログラミングとアレンジによってオーケストラとはまた違ったカラーと広がりを生み出していて、オーケストラを起用した楽曲の間にうまく配置される事によりアルバム全体のサウンドの多様性も生み出している。
 この手の、ジャズ・ミュージシャンのソロイストをフューチャーしたオーケストラ付きの作品の多くでは、オーケストラが単にゴージャスなムードを作る背景的な役割しか与えられていないのに対し、この「ハイ・ライフ」でのオーケストラ・パートにはかなり積極的で重要な役割を与えられている。
 このアルバムでのアレンジ上の最も重要なポイントは「リフ」である。ある時はベースラインだったり、またある時はオーケストラやシンセのコード進行だったりと、曲ごとに楽器は異なるものの、アドリブの部分を含めて常にどこかでリフが演奏されているのだ。そもそもアドリブのスペース自体がウェイン・ショーター以外にはほとんど与えられていないので、彼のサウンド以外はほとんどリフであると言えるかもしれない。このリフに絡まるようにウェインのアドリブが繰り広げられるのだが、一般的なジャズの演奏によく見られるテーマ〜アドリブ〜テーマという単純な展開ではなく作曲された部分とアドリブが渾然一体となって展開されるような複雑な構成のアレンジになっている。
 「リフ」と単純に言っても1〜2小節のモチーフやコード進行といった一般的な意味でのリフだけでなく、比較的長いテーマが何度も繰り返されることによって、それがリフとして機能するようになり、そこにアドリブが絡み付くように展開されたり、などといったことも行われている。
 実はこうしたことの元ネタは彼のマイルス時代のもはや古典となってしまった名曲である「ネフェルティティ」に表れている。この曲はテーマが何度もひたすら繰り返されることで有名な作品であるが、勘の鋭い何人かの人が指摘しているようにこの作品は反アドリブの作品ではなく、繰り返されるテーマの裏でリズム隊によって激しいアドリブが繰り広げられる作品なのだ。さらに突っ込めば、ここでのテーマは一種のリフと化しているのである。こうした現象が「ハイ・ライフ」のいくつかの作品ではオーケストラがリフと化したテーマを繰り返し演奏する中、ウェインがアドリブを繰り広げる、という形に発展しているのである。

 この様に書いていくと、じゃあマーカス・ミラーの存在感は薄いのか、と勘違いされそうであるが事実は全く逆である。もちろん彼のリーダー作で見せる様な超絶技巧のベースプレイは聴く事はできないが、主役のウェインを立てつつもかなり独特で複雑なベースラインをアルバム全編で紡ぎ出し、全体のサウンドをうまく引き締めている。曲によってはフレットレスのベースも弾いているが、こうなると嫌でもジャコのいた頃のウェザー・リポートを想起させずにはいられない。
 かなりライヴ感の強いロック的なドラムのサウンド(スネアの音の抜け方は最高!)の割にはマーカスのベースはいつものようなファンキーさを意図的にかなり抑制してプレイしているように聴こえ、非常に細かく複雑な動きをするベースラインは抽象的な雰囲気すら醸し出しているが、これがロックでもジャズでもクラシックでもないジャンル分け不明のオリジナルなテイストを作っている。
 ウェインのアドリブは、「ジャズのジャンルで有名になった名手が即興演奏をしているから」という理由のみからジャズとカテゴライズされるに過ぎず、本人はジャズでもなんでもない、ただの「音楽」を演奏しているつもりなのだろう。ウェインのアドリブを除くと、もはやそこにジャズ的テイストは皆無である。ジャズでもロックでもクラシックでもない、単なる「音楽」として力強く存在しているだけだ。
 多くのジャズ・ミュージシャンがやれエレクトリックだ、やれファンクだ、やっぱりアコースティックで4ビートだなどと、時代の流行のみで表面的にスタイルを変化させ、結局「自分の音楽」を持てずにジャズというクリシェの奴隷になっているが、ウェイン・ショーターは自分の音楽を表現するためにこうした様々な種類の音楽やサウンドを利用しているだけで、彼から「ジャズ」という言葉を取り去っても彼の音楽には何の影響もないのだ。

 先にも述べたように、このアルバムでは様々な様相を持ったリフが全編に流れそこにウェインのサックスが絡み付くようにアドリブを繰り広げるのであるが、テーマ対アドリブ、ソロ対オーケストラ、などといった対立ではなく、両者の融合が試みられている。何となく聴いていると知らない間にテーマからアドリブに移っているように聴こえるし、ウェインのサックスの音色もオーケストラの音色にうまく溶け込んで両者が寄り添い合って演奏するように感じられるのだ。ウェインはしばしば複数のサックスをオーバーダビングすることによって複数のサックスがアンサンブルしているようなサウンドを作ったり、オーケストラのメロディーのオブリガートとなるパートも演奏したりと、表から裏まであらゆる役割を果たしているため、余計にオーケストラとの一体感が深まっている事も重要である。そもそもこのオーケストラ・パートはウェイン自身によって作曲、オーケストレイションされているのだ。

 それにしても彼のソプラノ・サックスでのアドリブの凄まじさはどう表現すれば良いのであろうか。もちろん、深みのある音色で自由に語る様なテナーのプレイも素晴らしいのだが、ソプラノのプレイはそれをはるかに上回る神業の領域にまで達していると思う。なんというか、とても人間が演奏しているとは思えないのだ。彼のプレイを「飛翔する」なんて表現するのは簡単なのだが、ただ空を飛ぶだけではない、宇宙、あるいは天国まで飛んでいくのだ。そして飛んでいってしまうだけではなく軽やかに私達の世界まで一瞬で舞い戻り、そしてまたすぐ天へと翔ていく。。。こんな客観性を欠いた表現をするしかないのだ。
 このアルバムのタイトルにもなっている「ハイ・ライフ」を聴いてみよう。いきなりオーケストラによる神秘的な音色と浮遊する和声のコラール風のフレーズが楽園的な感覚へと誘うが、そのコラールに絡み付くサックスのアルペッジョが楽園での浮遊感と非日常性を増幅させる。その後すぐ始まる美しいテーマとその下で演奏される込み入ったベースラインは完全に同格なものとなっていて、複雑極まりない和声進行のもとで繰り広げられる両者のポリフォニーがエスニックなパーカッションのリズムと共に繰り広げられ、サックスのソロがそこにさらに絡み付くように加わってくる。曲の真ん中辺りでマーカスのベースのフレーズが一瞬フューチャーされるところがあり、そこから曲の最後に向かってオーケストラによるリフ風のメロディ(これはマーカスの演奏したフレーズが発展してこのオーケストラのメロディーへ繋がるように計画されている)が繰り返されながらエネルギーを増してクライマックスを形成するが、そこに加わって演奏される何かが取り憑いたとしか思えないウェインのソプラノのアドリブの驚嘆すべき素晴らしさは、このアルバムのハイライトとなっている。この最高の盛り上がりであっけなくフェイド・アウトしてしまうのは少し残念な気もするが、フェイド・アウト後のテナーとピアノとの親密なデュオで一気に別世界へと移行していく構成の都合上、ある程度はやむを得ないのかもしれない。

 ウェイン・ショーターとマーカス・ミラーという、それぞれ60年代、80年代のマイルス・バンドの(楽曲提供、演奏双方の)キー・パーソンががっちりとタッグを組んだこのアルバムであるが、作品のどこを聴いてもマイルス臭がほとんど感じられないのは少し不思議に感じるかもしれない。いや、二人ともマイルスの威光を借りなくとも十分に素晴らしいミュージシャンなのだからそれも当たり前だとも言える。しかし、いずれにせよ二人のマイルス・バンドでの貴重な経験の成果がこのアルバムでの注目すべきリズムの扱いに表れていることには注意しておきたい。マーカスの細分化されたシンコペーションを駆使して生み出される独自のグルーヴと、ウェインのビートの隙間をすり抜けていく様なリズム感が生み出す予測不可能で伸縮自在なフレーズ構造の結婚は、マイルスのもとでの二人の経験がなければ決して生まれなかったであろう。

 とりとめもなくこのアルバムの印象を書き綴ってきたが、ウェイン・ショーターはこの音楽を「祈りの音楽」として作ったのであろう。彼にとっての「祈り」とはサックスを演奏する事であり、この「祈り」を通して精神の高みへと登ろうとする過程(いや、彼はもう登り詰めているのかもしれない)や、彼の祈り(=サックスの音色)を通じて我々に「神の光」を顕現させようとする試みがこのアルバムに収められているのだと私は信じてやまない。
 それほどまでにこのアルバムは素晴らしい。ジャズの愛好家であろうとなかろうと是非とも「体験」して頂きたいアルバムである。

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おしらせ

双子座三重奏団うるう日ライヴ
2012年2月29日19:00-
門仲天井ホール

双子座2012チラシtogo.jpg

中川俊郎:バッハーズ・アロウ
森田泰之進:こうふくのしま
鈴木治行:蛇行
山本哲也:スライドホイッスル三重奏曲
ケージ:ラジオ・ミュージック
ほか

出演:
曽我部清典(トランペット)
中川俊郎(ピアノ)
松平敬(声)

コンサート詳細はこちらまで

■タリス:40声のモテット
(一人の歌手による多重録音)

ご試聴、ご購入は以下まで
iTunes
e-onkyo music
OTOTOY

■松平敬 1stアルバム
《MONO=POLI》

 マショーからケージまでの声楽アンサンブル作品を、多重録音によってすべて一人の声のみで演奏したアルバム。
 16声部のリゲティ《ルクス・エテルナ》も収録。

ENZO Recordings
EZCD-10006
平成22年度文化庁芸術祭
レコード部門優秀賞受賞作品

文化庁芸術祭シンボルマーク

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ご購入は以下まで:
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