シューベルトの未完成交響曲がでてきたついでですが、その他の「未完成もの」を思いつくままに並べてみましょう。
バッハ「フーガの技法」
モーツァルト「レクイエム」
ブルックナー「交響曲第9番」
マーラー「交響曲第10番」
プッチーニ「トゥーランドット」
シェーンベルク「ヤコブの梯子」
シェーンベルク「モーゼとアロン」
シェーンベルク「現代詩編第1番」
ベルク「ルル」
ブーレーズ「ピアノ・ソナタ第3番」
ビーチボーイズ「スマイル」
ビートルズ「レット・イット・ビー」
ジョン・レノン「ミルク・アンド・ハニー」
マイルス・デイヴィス「Doo Bop」
大半が死んでしまった事により作品を完成できなかった事が最も多いですが、シェーンベルクやブーレーズの例は音楽性の変化などの理由でそれ以上作曲出来なくなった例で(ブーレーズが第3ソナタを今後完成させる可能性は極めて低いと思います)未完成のまま作曲されなかった部分をなんとかして聴いて見たいという好奇心とともに、作曲された部分だけでなぜかそれなりの調和を持っている不思議さに妙に感動したりもします。
モーツァルトの「レクイエム」などジュスマイヤーを始めとして多くの補筆が試みられていますが、そうした作業によってできた「完成版」はやっと完成した、という安堵感をもたらすのではなく、かえってその作品の未完成である事実を強調させることにより、「未完成であること」の神秘性がより増してくるのはとても興味深いです。


ブルックナーの9番などは、作曲者自身の指示では、第4楽章に「テ・デウム」を使うようにということだったと聞きましたが、実際にそういう形で演奏したという話は聞いたことがないし、あの雄大な第3楽章を聴くと、続きはいらない気がします。
未完ではないですが、シューベルトの冬の旅は、実は旅そのものは続いているのでしょうけど、あそこで途切れるようにして終わるから良いのだと思います
たまたま入れ違いになりましたがブルックナーの9番の4楽章のスケッチがアーノンクールの演奏で聴けるようになりました。
これはシューベルトの未完成などと違って、第4楽章は本来なくてはならなかったものだ、ということがよく分かります。