シェーンベルクの未完のオペラ「モーゼとアロン」はシェーンベルクの代表作であるだけでなく、「声」を音楽の中でどのように取り扱っていくか、という観点から見ても今なお非常に興味深い作品であり続けています。
大衆の前で話すことの苦手なモーゼはシュプレヒシュティンメ、雄弁なアロンはヴァーグナーばりの朗々としたテノールと対照的な歌唱法で作曲されているだけでなく、合唱(及び小編成の声のアンサンブル)もしばしば2群に分けられ、それぞれが通常の歌唱法とシュプレヒシュティンメに分かれて対比を見せます。
このオペラでの合唱パートは通常のオペラの合唱書法と全くかけ離れた非常に複雑で長大な対位法で構成されていて、バッハの受難曲の複雑な合唱パートを彷彿とさせますが、この2種類の唱法だけから実に様々な響きを生み出すことに成功していることは特筆すべきです。
シュプレヒシュティンメはシェーンベルクの発明した唱法ですが、これは長い声楽の歴史の中でも特筆すべき革命的な演奏法といっても過言ではありません。しゃべるように歌うことによるピッチやポルタメントのニュアンスが音響的にも音楽表現としても極めて強いインパクトを与えますが、それを複雑な合唱の対位法に取り込むことによってその効果は著しく高められます。特に最弱音で囁くように演奏する場所では声のノイズ的側面が強調され、大袈裟な言い方をすればラッヘンマン的な響きを予感させます。
ケーゲル指揮によるこの作品の演奏ではこうした声の表現が神経質なほどに研ぎ澄まされていて、見事に統率された合唱団の演奏には思わず身震いしてしまいます。
ソリスト、オーケストラも非常に緊張度の高い演奏を繰り広げていて、目まぐるしく変化するシェーンベルクの音楽の素晴らしさが余すところなく引き出されています。
スコアを見てみてみると、無駄のないすっきりとしたオーケストレーションが施されているのがよく分かりますが、部分的にはヴァレーズを思わせるような斬新な音響の組み合わせがあったりしてびっくりします。
しかしやはり大きな感銘を受けるのは緻密な合唱声部の書法です。単に歌うだけでも並の合唱団では全く無理ですが、暗譜して演技をしながら歌うとなると、ものすごい稽古の量が必要だと思います。
なぜ非常に短い台本の第3幕が完成させられなかったのか非常に気になりますが、同じく未完成に終わった「ヤコブの梯子」も偉大な作品であるというのは偶然であるとはいえとても興味深いです。


シュプレッヒシュティンメの音楽史初登場はフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」みたいですね。
「モーゼとアロン」は、私もシェーンベルクの作品の中で最も好きなものの一つです。確かに複雑な作品ですが、一旦この作品が織りなす多彩で豊かな音響に引き込まれたら、この作品が美しいということを感じられるはずです。なによりこのような壮大にして緻密な傑作を生みだすシェーンベルクの創造力には素直に頭が下がります。
ところで、最近あるページを見ていたら、「シュプレヒシュティンメが間の抜けた陳腐なものに感じられ」、「シェーンベルクが最先端と信じていた技法が馬脚を現すのは半世紀で十分」というような記述がありました。未だシェーンベルクら新ウィーン楽派に対する無知や偏見は大きいようです。「モーゼ」はもちろん、「ピエロ」「ヴォツェック」など、どれほどの傑作が生み出されたかということについて想像を廻らせば、こんな言い方は出来ないでしょうに。
それにしても疑問に思うのは、このような言説が果たして日本国外でも通用するのかということです。海外の音楽界では、新ウィーン楽派の評価は、どうでしょうか。
ふてんさん>
少なくとも、日本においては作曲家のY氏によるトンチンカンなシェーンベルクを初めてする現代音楽批判が有名ですが、それはさておいてもベルクやヴェーベルンに比べてシェーンベルクは今一つ影の薄い存在のように感じられている気もします。特に12音技法を発明してそれを古典的な様式と組み合わせた作品は保守的だと批判されがちですが、精密なポリフォニーとそれをクリアーに描き出す透明感あふれるオーケストレーションはもっと評価されても良い気がします。
k.n.さん>
譜頭を省略して台詞部分をリズム的に「記譜」する方法ならロマン派のオペラに数多く見られますが、「ヘングレ」はそうした記譜とは異なるのでしょうか?
譜面を持っていないのですが、具体的な箇所を指摘して頂ければこちらで調査します。
シェーンベルクの場合は五線譜にしても一線譜にしてもかなり音高を細かく書き分けていますね(演奏に際してその区別をどう解釈するかはかなりの難問ですが)。