ある有名な日本人作曲家I氏の新作オペラの初演が数ヶ月後に控えていますが、その演奏に私の身近な人が関わっています。その関係でそのオペラの楽譜を見せてもらったり稽古の様子を聞かせてもらったりしているのですが、驚かされるのはその大御所作曲家I氏の声の扱いのひどさです。
この人は今回で3作目のオペラとなる訳ですが、第1作目のオペラを聴いた時にはやはり声の扱いのひどさにびっくりしました。(作品としての出来もあまり良くなかったと記憶しています。オーケストラの間奏曲が少し良いかな、と思った程度です)
そもそもこの作曲家I氏に関してはここ最近の作品に関しては私は全く評価していませんが、それでもオーケストレーションの技術に関してはさすがだな、と思うところもあります。この音域だとうまく鳴らないとか、この音形はこの楽器で演奏困難で実用的でない、などといった楽器の特性は演奏の現場で体験したり、過去のすぐれた作品のスコアを研究することによって習得していくことができ、それが実際のオーケストレーションに生かされていくのですが、声も楽器ですから当然得手不得手はある訳です。ところが、この新作オペラのスコアからはそうした「声」という楽器の特性を全く理解していないことがありありと読み取れるのです。
とにかく目に付くのが不必要なまでに極端な高音域が多用されていることです。テノールやソプラノのパートにはhやcisなど、通常の声楽作品だとここぞという見せ場で出てくるか出てこないか、という極端な最高音域が頻発するのですが、音楽的にその音がどうしても必要なのならば仕方ないのですが、単に器楽的な発想でメロディーラインを考えた結果そうなったとしか感じられません。その証拠に日本語のイントネーションはことごとく無視されています。時には言葉のイントネーションよりも音楽を優先させた方が良い場合もありますが、語尾の助詞の音でいきなり高音域へ跳躍してその音を延ばし続けるというのはいくら何でもセンスがないな、と思います。この人は作曲したパートの声楽部分を自分で歌ってみていないのでしょうね。
いくつかのあまりにも不合理な部分にはすでに訂正の書き込みがされていますし、初演の指揮を担当するT氏(この人は作曲家としても知られています)も、あまりにも不必要な高音が多すぎる、というような発言をしているようなので初演する頃にはかなり様子が変わっているとは思いますが、これがこの作曲家にとって初めてのオペラではなくて3作目のオペラである、ということを忘れてはなりません。オペラの制作にはそれなりの長い期間を掛ける訳ですが、2回にわたるオペラ制作に関わっていながら声楽の作曲技術が全く進歩していない、というのは作曲家としての怠慢ではないかと感じます。
今年の夏、「秋吉台の夏」に参加した時も多くの受講生の作曲家から、(興味はあるけれども)どのように声を使って作曲して良いか分からない、というようなお話も聞きましたが、日本の作曲界をリードしていく立場の人のオペラがこの有様なのでそうした状況も仕方ないのかも知れません。
最近、千住明氏が小澤・N響のコンビのために委嘱された作品(当然注目度も高くなります)の出来があまりにも酷かったと話題になっていますが、作曲家の責任もさることながら、委嘱した側の責任はもっと大きいと思います。
オペラを作曲するというのは今を生きる作曲家にとって一大事ですから、勝手に作曲して演奏の機会を待つ、なんてのんびりしたことは出来ません。演奏のための経費も莫大なものになりますから、運良く委嘱の機会がくることを待つしかないのですが、3作目のオペラにしていまだに声の基本的な扱いが分かっていない作曲家に委嘱が来る一方、ずっと前から作曲プランはあるし、機会あるごとにオペラを作曲したいと発言していても委嘱が来ないと、大御所作曲家Y氏が少し悲しげに話していた現実を見ると、なんだかなぁと思います。
そういえば三枝氏は委嘱の機会をぼーっと待っているだけではいつまでもオペラが書けないので、自分で借金して資金をつぎ込み自分で新作オペラの制作をする、という話を聞いた事があります(有名人の金銭感覚は桁違いにゴージャスですね)。そして今後20年位に作曲する予定のオペラの作曲予定年代付きの作品リスト(いってみれば未来の作品表)がチラシの裏にずらっと並んでいたのには笑いました。