今回のシュトックハウゼン講習会では、27年かけて完成させた7つのオペラからなる超大作「LICHT 光」(1977-2004)につづく新しい連作「KLANG 音」(2004-)からの作品がまとめて紹介された事が大きな特徴でした。「KLANG」は1日の24時間を24の音楽作品で表現しようとするプロジェクトですが、今回は現時点で完成している「1時間目」から「4時間目」までが演奏されました。
KLANGの冒頭を飾る「1時間目」(2004/05)は(パイプ)オルガンに二人の歌手(ソプラノ、テノール)が加わる40分近くの作品ですが、初演は昨年5月ミラノの大聖堂で行われました。昇天祭の時期に合わせて初演が行われた事もあり、作品のタイトルは「Himmelfahrt 昇天」と名付けられ非常にキリスト教的な色彩の強いものとなりました。
シュトックハウゼンは当初この作品において、作品の構造と密接に関連した24種類のパイプ・オルガンの音色を構想しましたが、リハーサル時間の不足など様々な現実的な制約のため初演の演奏に満足できず、オルガン・パートをシンセサイザーに置き換えた、今回世界初演された新しい版が作られた訳です。
オルガンによる世界初演のヴィデオ映像をコンポジション・セミナーで見る事ができましたが、ミラノの大聖堂の異常に長い残響時間も相まってオルガンの演奏は非常に不明瞭な仕上がりにとどまっていたことが良く理解できました。但し、理想的なオルガンの機構、理想的な演奏の組み合わせが実現すればパイプ・オルガンによって真に理想的な作品の姿が現れるであろう事も想像できました。
3人の演奏者は聴衆から見えない場所で演奏しますが、聴衆の前方に用意された巨大なスクリーンにオルガニストの手と鍵盤が映し出されます。歌手の姿はこのスクリーンにも映し出される事はないのですが、そのために却って二人の声が天からの歌声のように感じられる神秘的な効果を生み出していました。
今回の講習会でのシンセ版の演奏ではそのような視覚的効果は省略してステージ上に3人の演奏者が並んでの演奏となりました。シンセを黒い布で包んで配線などが目立たないようにしたり二人の歌手が「LITANEI 97」での合唱団員の衣装を着たりなどの若干の演出はありましたが、それ以外の演劇的な演出などは一切ありませんでした。
(どんな突飛な発想が含まれているとしても)オペラとして構想された「LICHT=光」は目に見える世界を描いたのに対し、「KLANG=音」では目ではなく耳で捉えられる不可視な世界を描こうとする両者のコンセプトの違いから、今回演奏された「KLANG」からの作品のほとんどは視覚的、演劇的要素を欠いた、まさに「音」に集中した作品に仕上がっていました。
さて、このシンセ版による「1時間目:昇天」ですが、何と言っても40分近く弾き続けるシンセ・パートの右手と左手のテンポがほぼすべての部分で異なっているという「ポリ・テンポ」が大きな特徴といえるでしょう。ただ両手のテンポが異なっているだけでなく、それぞれの声部で独自に自由な長さの休止、フェルマータ、声部ごとに独立したリタルダンド、アッチェレランドが指定されているために状況はさらに複雑になっています。
ミラノでの初演のためにオファーをしたケルン近郊の複数のオルガニストからはこの至難な演奏条件を理由に演奏をことごとく断られたのですが、今回シンセ版を初演したアントニオも準備に3ヶ月かかったと話していました。まず片手で指定されたテンポで完璧に弾けるようにして、その上で異なるテンポによる別の手の声部を組み合わせる、という地道かつ忍耐強い練習が繰り返された、ということですが、その傑出した演奏にはシュトックハウゼンも称賛を惜しまずにはいられませんでした。
当初予定されていた1回の本番に加えて急遽2度の本番をコンポジション・セミナーの中で追加して行い、私たちにとっても聴取に努力の必要なこの複雑な作品を繰り返し聴くよい機会になりました。
二人の歌手の歌うパートやシンセ奏者が時々演奏するリンなどの打楽器はあくまでも補助的な役割に過ぎず、作品の本質的な部分は両手で異なるテンポで奏でられる2声のメロディーのみなのですが、非常に巧みに作曲されているために音の薄さのようなものは全く感じられず、むしろ、音数が多すぎて音楽についていくのが困難に感じられるほどの音楽の密度があります。
受講生のためにこの作品の自筆譜のコピーが安価で販売されていましたが(正規の出版譜はまだ準備中)、それを見ながらでも両手の声部を追っていくのは楽ではありませんでした。コンポジション・セミナーの中で片手ずつ演奏して両声部を把握した後に2つの声部を組み合わせて演奏する、といったこともやりましたが、そうした作業をしてようやくポリ・テンポの構造をしっかり捉えることができました。
(中編へつづく)


僕は未だ音を聴いていないので、コメントできる立場にはないのですが、まっちゃんのレポートを拝見した印象として、ここ四半世紀もの間言われ続けてきた「誇大妄想」という偏見に満ちたキャプションが付かなくなっているように思います。
演奏技術上の問題等はあるでしょうが、楽器編成等に関しては、日本での演奏も可能なのではないでしょうか。
で、実は日本では意外と好評価されたりするんじゃないかと・・・「音楽に立ち返ったシュトックハウゼン」とか「晩年様式」とか、ありきたりの評論文が目に浮かびます。
ああ、そういえば以前、現代音楽大嫌いの作曲家先生が、当店で「全集3」と「全集5」をお買いあげくださいました
さなやんさん>
後日書きますが「3時間目」のピアノ・ソロの作品などは50〜60年代の作品も彷彿とさせる要素がありますし、新しい展開がみられます。
(私信:mixiにメッセージ送りましたのでご覧下さい。)