昨日発売された東スポ紙面で、ビートたけしが萩本欽一の聖火リレーに対する態度を痛烈に批判しているようです。
ソース:http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1119150.html
「オレだったら絶対、火を消したり間違って水の中に落っこちたり、ギャグしか考えないけどな。お笑いなんだから」という発言が出てくる発想は、たけしらしい反逆精神に満ちていますが、萩本欽一の「愛と涙」を「インチキ臭い」と一蹴できるのは、彼の立場ゆえでしょう。
ともかくたけしの思い切った発言にはエールを送りたいです。
ちなみに個人的には、あの24時間マラソンとかやってる番組には全く共感できません。。
そしてさらに「この人チャップリンに憧れててさ、『愛と感動の』なんて言うんだったら、今回の聖火ランナーになるのはおかしいよな?チベットの人権問題を考えれば。」という発言はもっともです。チャップリンは映画「独裁者」でヒトラーをリアル・タイムで痛烈に批判していた人ですから、今回の対応をみると偽善者と批判されても仕方ないでしょう。欽ちゃんの関連団体の都合などもあるのかもしれませんけれど、リレー後の情けない発言内容にもがっかりしました。
話は変わりますが、実は長野での聖火リレーを辞退した人が複数名いたようです。
(ソースはここのコメント欄)
でも、なぜかそれがこれまで全く報道されていませんでした。
平壌での聖火リレーが「無事」に終わった事を、皮肉めいて感じる人も多いとは思うのですが、日本でのこうした報道姿勢、長野県警の明らかにおかしい対応(YouTubeなどで大量に証拠映像を見つけられます)をみると、北朝鮮のことを笑っていられなくなります。


当にその通りです。
萩本欽一については、僕は彼の芸風そのものが好きになれませんが、加えて歳を取って、「一生お笑い芸人で終わるのはイヤだ」という悪あがきのようなものを感じます。
中共関連報道の空気のこわばりは昔からですが、もしインターネットが普及していなければ、もっと報道は統制されていたでしょうね。
中共でもナショナリズムに火が付いたようで、あとはオリンピックそのものが失敗に終わることを密かに願っています。
きんちゃんは、あの程度の人でしょう。デビュー当時から只のアクション系三流芸人。じゃあビートたけしは、というと頭は切れるけれど、他人のことをネタにするだけでしょう、多分。僕は基本的にテレビを見ない主義だから知らないんですけど。あのバイオレンスと涙だけの映画監督が大したものだとは思わない。
有森さんのコメントは、さすがと思いました。しかしスポーツ選手は本当に頭の中まで筋肉しかないんだね。
それにつけても、毎日チベットの僧侶が拷問その他で殺されているというのに、何もできない自分が腹立たしい。
松平伯爵さま>
ダライ・ラマを批判する田中真紀子の映像がでてきました。
(以下の動画の2分40秒くらいからです)
http://jp.youtube.com/watch?v=RScuZpnQR5g
りろさん>
中国ではインターネット規制が厳しく、例えば中国人がチベット問題について詳しく知りたくても、政府の都合の良い情報しか出てこないようですが、青少年への「有害情報」をシャットアウトすると言う名目で、日本も同じようにならなければ良いのですが。
携帯でのフィルタリングは現時点でかなり問題になってるようですからね。
KEIZOさん>
欽ちゃんやたけしの評価はさておきネームヴァリューのある人なんだから、こういう時にこそそれを利用して自分の意見をアピールして欲しいです。
芸能人の有志でもチベット弾圧に反対する、という声明を出した人たちがいますが、それほど大々的に取り上げられてませんね。
一民間人として出来る事は限られていますが、まずは少しでも多くの人に今回の問題に興味をもってもらう(まだまだ無関心な人が多いです)ことが大事かと思います。
長野で一生懸命チベットの旗を振っている人たちをみて、ジョン・レノンの古の名曲Power To The Peopleということばをようやく実感できるようになりました。
おっしゃるとおりです。
マスコミはダメですね。「虐殺」と素直に書けばいいと思うのですが。
田中元外相の動画見ました。マスコミは小泉政権発足の際「庶民派」のような幻想をまいてくれました。ちょっと考えれば、そんなことは幻想のはずなのに。父親の関係で中国批判なんか絶対しないでしょうね。
萩本さんの場合、なぜもっと非難されないのか不思議です。「民族浄化」をしている国の国策の五輪です。
すんなり成功してめでたし、なんてなったら、後でやりたいほうだいやるに決まってます。
木曾山さん>
「中国政府による虐殺」と「チベット族の暴動」だと天と地ほどイメージが違いますね。
田中真紀子が立場的に中国の批判をできない(やらない?)のはともかく、ダライ・ラマを積極的に非難している様子には思わず目を疑いました。彼女って中国政府の一員なのか、と。
今度は「チベットの動物」パンダをめぐって、トンチンカンなことをしようとしているようですね>日本政府
胡錦涛の「この」タイミングでの来日といい、チベットの人の気持ちをことごとく踏みにじる行為の連続に失望しまくりです。
チャップリンもジョン・レノンも、それこそチベット民族浄化を強行した毛沢東のシンパです。Power to the peopleのpeopleは人民解放軍のことです。
人民服を着用してシンセを弾いていた坂本龍一がFree Tibetを叫ぶ滑稽さ。
閘門大師さま>
チャップリン、ジョン・レノン(Power to the Peopleの詞の解釈のことも含めて)と毛沢東のつながりという情報の出典を教えてもらえますか?
ちなみに、ヨーコとの共作アルバム「Sometime in New York City」のジャケットではニクソンと毛沢東が裸で踊っているコラージュ写真がありますね。
坂本龍一の例は「分かりやすい」ですが、彼の「オペラ」の中ではダライ・ラマのインタビューか何かの録音が出てきてますね。
一貫性がない、と突っ込むのは簡単ですが、逆に「一貫性のある」田中真紀子のダライ・ラマ批判を賞賛することはできません。
チベットの実情を知っていてYMOで人民服を来ていたのであったとすれば問題ですが、おそらくそうではないでしょう。
>出典
「Imagine」の歌詞くらい知ってるんでしょう?
譚盾のような御用作曲家でも、毛沢東が手を挙げたり下げたりする滑稽なコラージュ映像に曲をつけることくらいはしますよ("Red Forecast")。
YMOで坂本が人民服を着ていた頃には、とっくに大躍進や文革の惨状も世に知れていました(高橋悠治「毛沢東詞三首」も同様)。高校の世界史の教科書にも書いてある程度のことです。
チャップリンについては、任意の評伝でもお読み下さい。
>Imagine
まさか、この曲と共産主義を結びつける荒唐無稽な説のことを言っているのではないとは思うのですが。。
「imagine」というヨーコに影響を受けたキーワードをもとに、ある種無邪気に平和な世の中を夢見る、それだけの曲だと思います。
Power to the Peopleの「people=人民解放軍」という連想もひょっとして同じような発想、ということはないですよね。
ジョン・レノンのビートルズ時代の曲「Revolution 1」の歌詞の一部を紹介しておきます。
「社会の構造を変えたいのかい?それなら自分の頭の構造をまず変えてみよう。毛沢東の写真を持ち歩いているようじゃ革命なんてとても無理だよ。」
私は、坂本龍一に特別な思い入れがある訳でもないですし、彼がフリー・チベットに賛同していたのも閘門大師さんのコメントではじめて知ったくらいなのですが(同じYMOの細野氏のことは知ってました)、ワイドショーのコメンテーターのように傍観者然として自分の意思を表明しない(つっこまれないので安全)よりは、偽善者といわれようと「滑稽」とバカにされようと「今」発言することの方が大切だと思います。
それだけで何かが変わるとは思いませんが、政治や報道の方向が明らかにおかしい現状の下で少しでも多くの人が関心を持つ事がまずは必要だと思います。
>ある種無邪気に平和な世の中を夢見る
そう、チャップリンもジョン・レノンも坂本龍一も、ある種無邪気に善意で平和を語る正義の人を装っているわけです。
ヒトラーを揶揄しても、もっと膨大な数の自国民を粛清したスターリンや毛沢東を批判する映画は決して制作しない。
ハリウッドで流行ってるからFree Tibetには乗っかってみるものの、北朝鮮労働党の核実験には「まずいな、日本が核武装する口実を与えてしまった」との感想を漏らす(2006)。
仏陀も聖書も易経もイエスもケネディもボブ・ディランもギーターもマントラも信じないと列挙しながら、決して「共産主義を信じない」「毛沢東を信じない」とは言わなかった(1970)。「イマジン」「パワー・トゥ・ザ・ピープル」は翌年の作。カーデューのシュトックハウゼン批判はその3年後。
これらの事実が指し示す方向はひとつです。荒唐無稽でも何でもありません。「ジョン・レノンの真実―FBI監視記録DE‐4~HQ‐33」(角川書店)はお読みになりましたか。
因みに、特定のメディア上で使われる「市民 People」という用語は、共産党シンパ、という意味合いです。チベット人民のことでは有り得ません。
>仏陀も聖書も易経もイエスもケネディもボブ・ディランもギーターもマントラも信じないと列挙しながら、決して「共産主義を信じない」「毛沢東を信じない」とは言わなかった
ファースト・アルバムの「GOD」の歌詞ですね。
「信じない」と言わなかったから「信じる」ということにはなりませんね。
様々なものを否定した直後に「I just believe in me / Yoko and me」と言っている事にも注目しなくてはなりません。
>閘門大師さま
ひょっとして、私がPower to the Peopleに言及したはじめのコメントの意味を誤解なさってますか?
「people=チベット人」ということは当然ながら全く意味してなくて、人がデモなどで沢山集まって何かの主張をする、そういう力はすごいな、というのを長野の映像を見て強く実感した、それだけの意味です。
>「信じない」と言わなかったから「信じる」ということにはなりませんね。
かたくなに目をそむけたがるのには、何か理由があるのですか?
前掲、筋金入りのマオイスト・カーデュー「シュトックハウゼンは帝国主義に奉仕する」論文ののち、雑誌《トランソニック》で高橋悠治編集人が「学習」を特集、林光以外の同人からは生暖かくスルーされ、同氏作曲ゼミに坂本龍一参加、武満が同会を脱退し「友人を帝国主義者呼ばわりするなんて」と対談で三善晃に愚痴り、シェーフスキーが《The people united》を書き、近藤譲が《シリウス》批判記事を発表、国立劇場での《暦年》世界初演で聴衆は拍手喝采だったのに武満周辺の作曲家・評論家が「大失敗」と報じたため以後30年間来日が途絶え、後見人瀧口修造・中島健蔵が逝去するや否や武満は芸術院賞受諾・・・という流れは御存知なんでしょうか。シュトックハウゼン9.11発言騒動の根っこも、全てそこにあるわけですが、分かりたく無い、とおっしゃるのなら仕方ありません。
>>「信じない」と言わなかったから「信じる」ということにはなりませんね。
>かたくなに目をそむけたがるのには、何か理由があるのですか?
何もありません。
ただ、理系の優秀な大学を卒業なさった閘門大師さんの発言にしては、かたくなで論理的でない話の展開だな、と単純に感じただけです。
#「私はAでない」と発言しなかったことは、「私はAである」という可能性を否定するものではないが、「私はAである」という証明にはならない。