今月の上旬、ロンドンでシュトックハウゼン作品を集めた大規模な企画がありましたが、その一部がBBCによって放送されました。
曲目は、最初期の「アルトのための3つの歌曲」、遺作となったKLANG19時間目「URANTIA」(世界初演)、そして亡くなる前の晩まで作曲していた「ティアクライス」のオーケストラ版(イギリス初演、演奏はオリヴァー・ナッセン指揮ロンドン・シンフォニエッタ)という貴重なものです。
あと6日間の限定公開ですが、この放送音源がBBCの以下のサイトから聴く事ができます。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b00fgztn
URANTIAは13時間目「COSMIC PUSLSES 宇宙の脈動」の24層の電子音楽から3層を抜きだしミックスし直した電子音楽に合わせてソプラノ独唱が歌う作品です。歌うのはなんとカティンカですが、さすがに本職の歌手ではないので予め録音した音源を電子音楽と一緒に再生する方法での上演となっています。
到底全ての音を聴き取る事ができないほど極度に複雑な「COSMIC PULSES」から3層分だけ抜き出した電子音楽、どのように響くのか興味津々でしたが、たった3層だけでも予想を超えた複雑さでびっくりしました。インターネットのストリーム放送のため音質はかなり悪いので、きちんとした音で聴いてみたいものです。
そこにソプラノの息の長いメロディーが絡みつくのですが、カティンカのヴィブラートをかけない歌い方が、現世を超越したような印象を醸し出していています。宇宙空間に天使が漂いながら歌っている雰囲気と言えばいいのでしょうか。「シリウス」から派生したソロと電子音楽の版(「アリエス」「カプリコーン」「リブラ」)に音響の組み合わせは似ている面もありますが、そこで見られたある種の「明るさ」はここには感じられず、虚無感、孤独感といった暗い雰囲気が全体を覆っているように感じました。
「ティアクライス」のオーケストラ版は正確には2つの作品の合成となります。2004年に作曲した「5つの星座」(乙女座〜山羊座、出版楽譜あり)と死の直前の2007年に作曲した「続・5つの星座」(水瓶座〜双子座)から成り、この順序で演奏され、双子座に続く、蟹座と獅子座は作曲されていません。
亡くなる日の前の晩に「双子座」を完成させたことは以前にもお知らせしたかと思います。
まず始めに作曲された「5つの星座」では、シンプルな美しさが全曲を支配しています。1管編成のごく小さな編成で音色旋律を多用したオーケストレーションはヴェーベルンを想起させ、マーラー的なセンチメンタリズムすら透けて見えますが、奇異な音色を使う事なく、これまで聴いた事のない不可思議な美しさを生み出す職人技はさすがだと思います。コントラバスを欠いた編成によって生じる浮遊感も絶品です。
メロディーの変形のさせ方のいくつかは、前年に作曲したテノールとシンセ版で使用したアイデアを流用しています。
「続・5つの星座」では一変して、原曲のシンプルさからは想像のつかない複雑さが支配しています。各メロディーを3〜4回繰り返す(内一回はオリジナルのテンポによる原形の旋律の演奏)というルールはほとんど無視され、「シリウス」の時のように「旋律全体」が音響素材として扱われています。ここで多用されている手法が、単一のメロディーを様々なテンポ、音域で同時に多層的に演奏するものです。「魚座」では全体がこの方法のみで構成されています。原曲では2匹の魚が泳いでいるかのような2声のメロディーが、ここではさまざまなサイズの魚の大群になっています。「COSMIC PULSES」で使用された、様々なテンポによるメロディーのループを重ねる手法をオーケストラに応用したものと思われます。
「牡羊座」での、メロディーを様々な特性を持つ音響の連なりとして解釈し直した、斬新でスリリングなヴァリエーションも楽しいですが、さらなる楽しみは続く「牡牛座」に表れます。
歩き回りながら演奏する(実演を見ていないの推測ですが)テューバ奏者の幅広い音域を駆使した超絶的なパッセージが全編を支配していますが、そこに加わるオーケストラの躍動感あふれる音響も含め、死を目前に控えた人間が作曲したとは思えない生命力が感じられます。
KLANG10時間目「GLANZ」でも突如テューバ奏者がステージ上に表れ横切っていくシーンもユーモラスでしたし、「祈り」の静的な音響の中でも、テューバ・ソロによる躍動的なパッセージはどこか場違いで、それ故インパクトに残る場所がありますが、シュトックハウゼンのテューバという楽器に対する見方が垣間見えます。
「牡牛座」の最後ではテューバ奏者の「おじぎ」も記譜されているとのことで、聴衆にも受けている様子が録音からうかがえます。
最後の「双子座」では、この星座のもつ重要な特徴の「あそび」が存分に駆使され、メロディーの断片が様々な楽器、音域でスタッカートで演奏されます。それに対して常にレガートで繰り返し(様々な移高形で)演奏される冒頭の3音のモチーフが悲劇的なイメージを持つように聴こえるのは私の主観でしょうか?
最後、弦楽器のオクターヴでこのモチーフがフォルテで奏され、ヴィブラフォンによるコードが加わってホ短調のような響きになって突如終わるところが、余計にそうした印象を強めます。
いずれにせよ、この作品のエンディングはいささか唐突に感じます。あと2曲、どのように続いたのか聴く事ができないのが残念でなりません。