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ピアノ曲XVIII《水曜日のフォルメル》(2004)では、シンセサイザーのためのXVからXVIIの3作とはまた違ったアプローチが取られます。

シュトックハウゼンが《光の水曜日》の作曲の基本構造として用いた4層構造の《光の水曜日のためのSuperformel》そのものを、シンセサイザーのための作品として演奏する、という作品で、主要な3層の音域を置換しながら、このフォルメルが3度繰り返されます。

この作品は、基本的に同一の楽譜(テンポはこちらが2倍速い)による打楽器三重奏版の《水曜日のフォルメル》と兄弟関係にあります。高音域の声部を金属、中音域の声部を木、低音域の声部を皮の打楽器を用いて、演奏者が自由に楽器を選択しなくてはなりませんが、《ピアノ曲XVIII》では、それに対応して、金属、木、皮に似せた電子的な音色をプログラミングすることを求められています。
ピアノ曲XII〜XIVでは、フォルメルに含まれる、様々なノイズ的要素を内部奏法などで解釈していましたが、ここでは、シンセサイザーのプログラミングの変更によって解釈することになり、音色の選択も奏者に完全に委ねられています。
複数の音色を多層的に重ね、さらに各層バラバラのタイミングでその音色も変更しなくてはならず、ポリフォニー内での(ピッチベンド的)グリッサンドや微分音の演奏も求められることから、奏者にシンセサイザーのプログラミングの知識が必要となることはいうまでもありません。
また、この作品での長い持続音の音色の美しさそのものを味わう傾向は、晩年のシュトックハウゼン作品の重要な特徴でもあります。

《ピアノ曲XIX》(2001/03)は《光の日曜日》の終演後、ロビーなどで再生される5台のシンセサイザーによる電子音楽《日曜日の別れ》の別ヴァージョンです。
このヴァージョンでの楽譜はまだ出版されておらず、初演もされていないので詳細は違う部分があるかもしれませんが、作品表での取り上げ方から推察するに、《日曜日の別れ》を一人のシンセ奏者が、残りの4声部を収めたテープと共演する、という演奏形態であると思われます。
《日曜日の別れ》は《光の日曜日》の最終場面である《至高=時 HOCH-ZEITEN》の別ヴァージョンでもあります。この作品はまず5群のコーラスのための版が作られ、合唱団が歌う5ヶ国語の歌詞の言葉の響きを5群のオーケストレーションに「翻訳」する形で、オーケストラのための版が作曲されました。《日曜日の別れ》はコーラス版を5台のシンセで演奏する版ですが、同様にコーラスの歌詞を、シンセサイザーのプログラミングに「翻訳」することが求められます。様々なパターンのグリッサンドで埋め尽くされた楽譜は、当然ながら通常の鍵盤楽器作品とは全く異なる世界を生み出します。

ピアノ曲のXVII〜XIXに共通した特徴は、ピアノ曲としての版と、基本的に同じ楽譜に基づく打楽器のための版が存在することです。
シンセサイザーは機種の選定やプログラミング、打楽器は楽器の選定や奏法によって多種多様な音色を生み出せる、という点で共通していますが、音色のキャラクターは全く異なっているので、両者の版を聴き比べると、非常に興味深い発見があります。
ピアノ曲XIXの打楽器版にあたる《光線 STRAHLEN》(2002)は、ヴィブラフォン奏者とテープ(9パートのヴィブラフォン演奏の多重録音)のために作曲されていますが、エレクトロニクスを使って、本来ただ減衰するだけのヴィブラフォンの音に(連続したピッチ変化による)グリッサンドをかけるという離れ業が聴きどころです。

ちなみに、《LICHT》と関連のある8曲のピアノ曲の内、前半の3曲が伝統的なピアノ、残りの5曲がシンセサイザーと、同じ鍵盤楽器ながら異なる楽器のために作曲されているのには、(恐らく当初からの計画でなかったと思われますが)それなりの根拠があります。伝統的なピアノのために作曲されたXIIからXIVはそれぞれ《木曜日》《土曜日》《月曜日》に含まれる作品ですが、この3つは《LICHT》の3人の主要キャラクターの内の一人が主要な役割を果たし、残りの4作は二人、または三人のキャラクターの様々な関わり合いがテーマとなっているので、それが根拠となっていると思われます。

《LICHT》の次なる連作《KLANG》には鍵盤楽器を使った作品が2つあり、「ピアノ曲」シリーズの続編とも解釈ができます。
1時間目:《昇天 HIMMELFAHRT》(2004/05)は補助的な役割の二人の歌手を伴うものの、実質的にはオルガン、またはシンセ奏者のための作品といえます。2声のポリフォニーというシンプルな構造ながら、30分以上の演奏時間のほとんどで、鍵盤楽器奏者の左右の手は、異なるテンポで演奏しなくてはならない、という超難曲です。24種類の音色を使い分けなくてはならないところは、後期ピアノ曲と相通ずるところがあります。
3時間目:《自然の持続時間 NATÜRLICHE DAUERN》(2005/06)は《ピアノ曲XIV》以来の伝統的なピアノのための独奏曲、しかも、それ自体が24の作品から構成される演奏時間3時間超の大作です。
多彩なシンセサイザーの音色変化を捨て、再び伝統的なピアノの響きを追求したという点も注目すべきポイントでしょう(リンやインディアン・ベルをピアノの音色と融合させる興味深い試みもありますが、そうした例外をのぞいて、内部奏法もほぼ皆無です)。
もっとも特徴的なのが冒頭の数曲に集中的に見られる、長い減衰音です。この減衰の時間を非メトロノーム的な持続として利用していますが、同時に、一見単調な音響現象に隠れた微細かつ豊かな表情に注意深く聴き入ることを、奏者、聴き手ともに求めているのが、晩年のシュトックハウゼンならではです。音楽の大事な部分は鍵盤の上、あるいはピアニストの指ではなく、楽器の内部で起こっています(そのことに気づかなければ、この作品は単なるガマン大会以上のものとはなりません)。
こうした側面は、ピアノ曲X主要部(冒頭のにぎやかな部分は構造的には序奏部にすぎません)の長い減衰音や休止にすでに表れていますが、この作品ではそうした側面が極限まで拡大されたといえます。

最後に、意外に知られていないことかもしれませんが、シュトックハウゼンが作曲を本格的にこころざす前は、ピアノが彼にとってもっとも身近な楽器であったことを付け加えておきましょう。幼少時からピアノの手ほどきを受けていましたが、終戦直後ケルンへとやってきた若きシュトックハウゼンは、レストランやカフェでピアノを弾いたり、手品師アドリオンのパフォーマンスの伴奏として即興演奏をしたりして生計を立てていたのです。

個人的な備忘録ですが、参考になることもあるかと思い、ここに書いておきます。

「後期」というのは非常にあいまいな表現ですが、シュトックハウゼンはピアノ曲のI〜XIを1952〜1961年に作曲、続くXIIは1979/83年の作曲と、XIとXIIの間にほとんど20年の断絶があるので、XII以降を「後期」と呼ぶこととします。

全部で19曲作られたシュトックハウゼンのピアノ曲(KLAVIERSTÜCK)は、大きく3つのグループに分けられます。

すなわち

1.I〜XI(1952-61)
2.XII〜XIV(1979-84)
3.XV〜XIX(1991-2003)

2,3のグループは1と作曲年が離れているだけではなく、作曲技法、楽器の扱いの上でも大きな違いがあります。

作曲法の面では、1が群による作曲法、2,3がフォルメル技法を採用していて、2,3は巨大なオペラ連作《光 LICHT》の関係作品として作曲されています。

XII: 木曜日、XIII: 土曜日、XIV: 月曜日、
XV: 火曜日、XVI,XVII: 金曜日、XVIII: 水曜日、XIX: 日曜日

楽器法では、1,2は伝統的なグランド・ピアノを使用していますが、2では様々な内部奏法などでピアノの音色の拡大が目論まれています。3は(電子的に音色を拡張されたピアノとしての)シンセサイザーが使用されています。
(ということで、最近時々目にする「鍵盤曲」「クラヴィア曲」などの奇妙な訳語を使用する必要性はなく、単に「ピアノ曲」という表記でよいと考えます。作曲家サイドの公式な英文タイトルも「PIANO PIECE」です)

つまり、このシリーズの後に行くに従ってピアノの音色が拡張されるような方向性があるということですが、それは2のグループで突然表面化したわけではなく、1の中にもすでにその傾向があります。VIIにおけるハーモニクスの探求、Xでの細かくコントロールされたクラスター、クラスター・グリッサンドによるノイズ領域への音色の拡大などが、挙げられます。

2におけるの内部奏法の多用は、ピアノの音色の拡大を意図していますが、これには作曲上の必然性もあります。

《LICHT》の作曲素材の源となるSuperformelはこのオペラの3人の主要キャラクターであるミヒャエル、エーファ、ルツィファーを象徴する3声のメロディーから構成されますが、このメロディーには通常の楽音の部分(それぞれ11、12、13音のセリーから導出されている)に、様々なノイズ的な楽想(有名な、数字を数えるイヴェントもこの一つ)が挿入されています。
この部分を、様々な楽器の特殊奏法でリアライズすることになるのですが(そこで生じる解釈の多様性も作曲上のキモ)、ピアノ曲のXII〜XIVでは、それが内部奏法を含む種々の奏法へと置き換えられている、ということです。

最も特徴的なのが3のグループ(XV〜XIX)での様々なアイデアです。
このグループでは、XII〜XIVで試みたピアノの音色の拡大を、楽器自体をシンセサイザーに置き換える、ということで大きくその方向性を変えます。
シンセサイザーの重要な特徴は、音色を自在にプログラミングできる点にありますが、シュトックハウゼンはその点を演奏者の創意に委ね、その他様々な要素を演奏者の選択に任せる作曲法を取りました(但し、楽曲の基本的な構造自体は確定されている)。

XV〈シンセ狂〉では、131種類の音色のプログラミングが求められ、基本的にきっちりと記譜されている楽譜の随所に即興演奏のためのスペースが設けられています(即興演奏の持続は確定、演奏内容は完全に不定)。
生演奏の背後で8チャンネルの電子音楽が流れている、というのもそれまでの作品になかった特徴です。

XVIとXVIIも電子音楽との共演ですが、単なる音楽的背景として機能していたXVのそれに対して、こちらではより積極的な役割を果たします。
XVIは、男女二人の声の変調で作られたテープ音楽(その音響の奇妙さにかかわらず、きちんと五線譜で記譜されている)の中から自由に選んだ音にピアノ、シンセサイザーなどでユニゾンで音を重ねる、一種の「音の塗り絵」です(これらは即興的に行うのでなく、事前に演奏者が自分自身のヴァージョンを作成する)。
XVII〈コメット〉は、《光の金曜日》の〈子どもの戦争〉という場面の電子音楽(オペラ内で歌われる児童合唱のパートもここではテープに収録)にコメントを付けるように、小節ごとに指示された和音から選んだ音を、演奏者が自由な順序、タイミングで演奏します(部分的に確定されたフレーズもあり)。

ということで、XVIとXVIIはテープ部分がメインで、生演奏はそれに対する注釈、という色合いが濃いのですが、XVIIに関しては生演奏部分を生かす仕掛けがあります。
演奏者がテープの再生を中断する箇所を2箇所決め、その先のフレーズを40〜60秒、テープなしで演奏、そして、テープの再生を再開し、ソロで演奏したフレーズをもう一度繰り返し、先へ進む、という演奏指示です。
原曲のオペラにはないこうした指示の付加により、生演奏とテープ部分の役割がより明確になる効果があります。

ちなみにXVIに関しては、「高度な演奏技巧は求められず、むしろイマジネーションやユーモアのセンスが必要だ」との注意書きがあったり、XVIIでは、シンセやサンプラーでの音色の選択に関して、数多くのおもちゃのようなサウンドをあらかじめ用意しておくことが求められたりと、従来のピアニストに要求されていたことと全く別種のセンスを引き出そうとする作曲者の意思が感じられます。

(その2につづく)

2月に新国立劇場・中劇場で演奏される松村禎三《沈黙》が、この段階になってオーケストラピットに楽器が入りきらないので、一部の楽器を別室で演奏、中継した音声を会場の演奏とミックスするという、信じがたいニュースが入ってきました。

ソース:

この件に関しては、そういうことをなぜ事前に把握できなかったのかという疑問が残るわけですが、今回は、この件に関しての批判ではなく、別の場所での演奏を中継して演奏する、というスタイルがシュトックハウゼン作品にいくつかあるので、その紹介をしたいと思います。


トランス TRANS (1971)

ステージ上に見えるのは、弦楽器奏者のみ、しかしパーテーションの後ろには管打楽器が隠れています。その音声はスピーカーから聞こえてきます。
中継、というには位置関係が近すぎますが、客席から見えない場所から演奏している、という点では「中継」というジャンルに入れてもいいかと思います。

作品の途中に、トランペット奏者が突然現れてソロを吹く部分がありますが、音だけ聞こえて見えなかった存在が、突然現実世界に現れたような効果をもたらします。


ヘリコプター弦楽四重奏曲 HELIKOPTER-STREICHQUARTETT (1992/93)

《光の水曜日》の第3場面。
4人の弦楽器奏者が4台のヘリコプターに分乗する、という側面ばかりが強調されがちですが、より重要なコンセプトは「中継」演奏にあります。
クリックトラックのみを頼りに、4人がポリフォニーを奏で(お互いに他の奏者の音は聴こえない)、その中継が会場でミックスされてアンサンブルが成就する作品ですが、その4声のポリフォニーの各声部のメロディーが、1〜数個の音符の単位で4つの楽器で受け渡されるように仕組まれている(そして、それが全声部で同時に行われる)ところがポイントです。
(音楽的には、このオペラの基礎となるSuperformelが声部の配置が入れ替わって、異なる移高系と持続で3度繰り返されるだけ)
つまり、その複雑なポリフォニーが、場所的にお互い遠く離れ、お互いの音も物理的に聴けない状態で行われている「場」を中継によって実現させる、というコンセプトです。

わかりやすいのが、ルシファー・フォルメルでよく出てくるeins, zwei と数を数える部分です。それぞれの数字が別の奏者で発音されますが、別のヘリコプターでバラバラに発音されているものが、会場では順番に数字を数えているように聴こえる、その状況を中継されている音声や映像から想像することによって、いま行われていることの面白さが実感されるような仕掛けになっています。


至高=時 HOCH-ZEITEN (2001/02)

《光の日曜日》の最終場面。
基本的に同一の楽譜に基づく、オーケストラと合唱のための2つのヴァージョンが、2つの別の会場で同期して演奏されます。
それぞれの演奏は中継されていて、スコア上に指定された7つの場所で、別会場の演奏が、実際の演奏とミックスされます。

オーケストラ版は合唱版よりも18秒先に演奏が開始される指示があるので、両者の演奏がミックスされたときには、生演奏の18秒前、あるいは18秒後の音楽素材(音色だけ異なる)が重なりあう格好となります。

合唱版では、作品の後半、ステージ上手よりトランペット奏者が突如登場、合唱内のソプラノ歌手とデュオを演奏する、神秘的な部分があります。これは、このオペラのテーマであるミヒャエルとエーファの結婚に関連していると同時に、上記《トランス》との関連性も興味深いところです。

ちなみに、《トランス》と《ヘリコプター弦楽四重奏曲》は、どちらも、彼のみた夢から特殊な演奏体系が着想されています。


ステージと別の場所で演奏される音楽が聴こえる先例としては、ベルリオーズやマーラーの交響曲でみられる、遠くからの音が舞台裏で演奏される、というものがありますが、シュトックハウゼンの場合は、「中継」というテクノロジーを使用して、本来は同じ場所に存在しないものを共存させ、一種のポリフォニーを形成する、という点に独自性と現代性があると思います。
この発想は、世界各地の音楽や国歌が一つの音楽を形成する《ヒュムネン》《テレムジーク》など、他の多くの作品にも見つけることができますし、異なる場所だけではなく、異なる時間層が現在と重なりあう(「時間の窓」と彼は表現しています)《ミクロフォニーII》のような例もあります。

シュトックハウゼンは、「録音」というメディアを自身の作品の理想的な姿を記録する重要なメディアと考えていて、自身の監修した録音をすべて自分の出版社、シュトックハウゼン出版(Stockhausen-Verlag)で管理していたことはよく知られています(1980年頃以前のドイツ・グラモフォンから出ていた音源もすべて買い取り、自身のレーベルから再発売しています)。

レーベルの都合によって廃盤にされたり、リリースのペースを決められたりすることなく、自由に発売することが可能となり、100枚近くのアルバムが常に入手可能という、作曲家本人、ファンの双方に理想的な環境があるにもかかわらず、シュトックハウゼンの作品のごく一部しか認知されていない理由は、その流通形態にあります。

基本的に出版社から直接通販する前提で販売されているので、一般の店舗にはほとんどこのレーベルのCDが置いてあることはありません。あったとしても、一枚6000円というボッタクリといわれても仕方のない値付けがされているのですが、これは、上記の事情で卸価格が存在しないことが原因で、シュトックハウゼン出版がぼろ儲けをしているわけではありません。

安く手に入れるために、直接通販しようとする場合は、メールで直接注文(10年ほど前まではファックスでした)、料金は国際送金で支払い、というスタイルになります。
中学生程度の英語力でオーダーのメールも出せるのですが、そこが第一のネック、そして決してお手軽とはいえない国際送金の書類書き(一度書き方を覚えればそれほど大変ではないですがでもやっぱり面倒)と割高な手数料(1件2500円)がかなり敷居の高い印象を与え、結局ほとんどの人にとってシュトックハウゼンのCDは遠い存在のまま、そして、一般の店舗で手に入りやすい、ビミョーな演奏のアルバムばかりが聴かれる、という作曲者にとっても聴き手にとっても不幸な状況が続いていました。

せめてクレジットカードで決済できれば、ということは私も以前から、関係者にずっと話をしていたのですが、それが実現する手応えはほとんどありませんでした。


しかし、突然朗報がやってきたのです!


ここはシュトックハウゼンのCDのオンライン・ショップ、アマゾンなどと同じ感覚で必要なものをカートに入れペイパル決済で購入できます。
全タイトル試聴可、というのも嬉しいのではないでしょうか。

似たようなサイトがあるよ、とおっしゃる方がいるかもしれません。しかし、そこのサイトは非公式なものなので、手数料もそれなりに取られて、お世辞にもお得とはいえないものでした。送金、オーダーなどの面倒なことを代行してもらえるくらいのメリットです。

しかし、このサイトはシュトックハウゼン出版の公式のショップですから、値段もほぼ定価で、一枚ものだと23ユーロ(約2400円)という価格が基本になっています。

ただし、日本からオーダーする人は注意してください。

このショップで購入したものは基本的に船便での発送となります。したがってオーダーから商品到着まで2ヶ月ほどかかるということになります。

ではエアメールで送って欲しい場合はどうすればよいか?
サイトの下部に出版社のメールアドレスがありますので(どこのメルアドでもおそらく同じ人から返信が来るでしょう)、ショップで購入後、メールでエアメールで送って欲しい旨伝える必要があります。すると先方からシュトックハウゼン出版のペイパルアカウントに◯◯ユーロ送金してください、というメールが届くので、そこに支払う、という段取りになります。

ちょっと面倒なのですが、これは結局、ショップは使わずにはじめからメールで注文(エアメールで支払いたい旨も伝えておく)すれば話が早い、ということになります。

従って、以前の方式から送金方法のみ変わった、ということになりますが、この違いこそがもっとも重要です。

そして、もうひとつ重要なのが、シュトックハウゼン出版がペイパルのアカウントを取った、ということです。
ショップサイトこそありませんが、ここからでているすべてのもの(Text-CD、楽譜、オルゴールなど)は、同じようにメールで注文、ペイパルで決済、という方法で購入することができます。

いままでは先方にお金が届くまで1週間弱、商品の発送におなじく1週間弱の計2週間弱の日数がかかっていたのが、送金が一瞬になったことで、オーダーから1週間弱で商品の入手ができることになりました。

シュトックハウゼン愛好家にとっては画期的なこのニュース、これを機に、より多くの人がシュトックハウゼンの音楽に触れることを願います。

「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

選曲・ゲスト:松平敬
2011/07/17(日)
18:00-22:30



開演前:《テレムジーク》の素材音源[Text16]

3xREFRAIN 2000(全曲)[62]

MOMENTE(1998版)[80]

短波(大阪万博でのライヴ録音)[Text21]
HYMNENオケ付き版 [47]

渡り鳥(《来たるべき時のために》より)[Text22]
SIRIUS電子音楽 [76]

JUBILÄUM(全曲)[100]

〜休憩〜

EXAMEN (《光の木曜日》より)[43]
KINDERFÄNGER(《光の月曜日より》)[63]
QUITT(全曲)[82]
ピアノ曲XVI(全曲)[57]
世界議会(《光の水曜日》より)[51] 
オーケストラ・フィナリステン(《光の水曜日》より)[52]

FREUDE(KLANG2時間目)[84]
COSMIC PULSES(KLANG13時間目)(全曲)[91]

[ ]内の数字は、その曲を含むStockhausen-VerlagのCD番号、Textとあるものは同社のText-CDという別のCDシリーズ(主にシュトックハウゼン自身によるレクチャー録音などを収録)

三軒茶屋のクラブでシュトックハウゼンを聴きまくるイベントがいよいよ明日に迫りました。
泣く泣く曲を絞りましたが、それでも3時間を超える音源を用意しています。
皆様のご来場をお待ちしています。

立ち見分も含めると、かなりのお客さんが入れますが、座席数は50席弱ですので、座ってじっくりとお聞きになりたい方はお早めのご来場をおすすめします。

ちなみに、チラシ等で18:00‐22:30と書かれていますが、18時というのは「開場」時刻となります。イベント本編は18時半頃を予定していますのでご注意下さい。

ちなみにこの開場時刻には、シュトックハウゼンが《テレムジーク》の素材として使用した世界各地の民族音楽の音源をかける予定です(《テレムジーク》本体はやる予定はありません。念のため)。


「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

選曲・ゲスト:松平敬
2011/07/17(日)
18:00-22:30
料金:1500円(ノー・ドリンク)

お問い合わせ: dmitryshostakovich@gmail.com
Twitter: @mk_sekibang

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先日の高松での演奏、2000人入る大ホールでの松平頼暁氏の《Rotation I》は多くの人にとってインパクトがあったようです。客席が寒くなったらどうしよう、という一抹の不安もありましたが、結果的に好評で安心しました。
ほとんどの人からはじめにでてきた感想が「おもしろい!」という言葉でした。まずは、そこで興味を持ってもらえないと、その先につながらないので、これは嬉しい反応でした。

主催のよんでん文化振興財団の皆様、ホールまで足を運んでくださった多くの皆様、ありがとうございます。

ちなみに、同じ高松では、すぐ姉妹作の《Rotation II》も演奏されるとのこと、同日演奏ではないですが、両作が近い日程で演奏されるのは東京でも大阪でもなく、高松が初、この作品に関しては世界最先端ということになります。

アヴァンギャルドという言葉の意味もよく知らなかった高校時代、たまたま乗っていたバスの車窓から突如見えてきた岡本太郎氏の「太陽の塔」は、私にとってある種の啓示となりました。
単に変なかたちの彫刻を作るというのならともかく、その異様な造形センスが巨大な塔となって、唐突に私の目の前に現れてきた、というシチュエーションは私にとっては完璧すぎるものでした。
口ポカ状態の小学生もいた、という目撃談も聞きましたが、今回の演奏が、未知の世界への扉となればいいな、と思います。


さて、来週は「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」と題したイベントに出演します。

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通常の演奏会やライヴではなく、シュトックハウゼンのさまざまな音源をとにかく聴きまくる、というイベントです。
一般では入手がしにくいStockhausen-VerlagのCDの中から、初期から晩年にいたる様々な作品の音源を紹介したいと思います。

限られた時間ではありますが、たくさんの音源に触れていただきたいので、一部の作品をのぞき10〜15分の抜粋とし、曲数をふやしたいと考えています。

以下に上演予定曲目(抜粋)をいくつか紹介しておきます。

《モメンテ》(1998年版)
《短波》(大阪万博でのライヴ録音)
《来るべき時のために》より〈渡り鳥〉
《シリウス》の電子音楽
《ピアノ曲XVI》(全曲)
KLANG13時間目《宇宙の脈動》(全曲)
etc.


逆に、多くの人が聴いているであろう《少年の歌》《ヘリコプター弦楽四重奏曲》《グルッペン》などは、選曲の初期段階で除外してあります。ご参考まで。


「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

選曲・ゲスト:松平敬
2011/07/17(日)
18:00-22:30
料金:1500円(ノー・ドリンク)

お問い合わせ: dmitryshostakovich@gmail.com
Twitter: @mk_sekibang



半分に分けられた聴衆は休憩中にホールを交替、私は休憩後、Bホールでオーケストラ版を聴きました。
そもそも、《HOCH-ZEITEN》のオーケストラ版は合唱版の楽譜をオーケストラに置き換える発想で作曲されているので、楽譜は基本的に同一です。つまり本版では、5群に分けられたオーケストラがそれぞれのテンポで演奏する、ということになります。

こちらは生演奏ですから、この複雑なポリテンポを実現するために5人の指揮者が各群の奏者を指揮しますが、3人の指揮者を要する《GRUPPEN グルッペン》と比べても桁違いにテンポの重なり方が複雑なこの作品のテンポ同期は人間業では不可能なので、クリックを聞きながら指揮をすることになります。演奏の全体をまとめ上げるのは、この曲の最後のみを客席から指揮するPeter Rundelですから、ステージ上の5人の指揮者は純粋に拍を出すだけということになります。今回のプロジェクトではオーケストラを担当したmusikFabrikと関わりのある打楽器奏者にその役割が任されました。その内の一人はなんと、現在ドイツに在住する日本人のパーカッショニスト、渡邉理恵さんでした。終演後に少し話を聞くことができたのですが、全体のサウンドを把握できず(逆に他のグループを聴くと演奏は極端に困難になりますが)、ひたすらイアホンから聞こえてくるクリックの通りに指揮をするというのは、かなり大変だったようです。
その一方、シュトックハウゼン本人(拍のカウント)とカティンカ(ページ数のカウント)の二人の声によるクリックトラックを聴く密かな楽しみもあったようです。曲の最後の方になると明らかに声が疲れてきているとか、お腹がグーと鳴っている音も漏れ入っているクリック・トラックがあるとか、演奏者ならではの楽しい裏話も聞けました。

さて、私は一度目の演奏の時には客席中央のミキサー席の少し前の席で聴きましたが、オーケストラの前方に様々な映像を写す紗幕があり、おそらくそのためにサウンドが幾分ぼやけて聴こえていました。5群のオーケストラは、それぞれの色の照明が当てられ、その前にAホールの中継映像を含む様々な映像が「半透明」に映写されるコンセプトでしたが、作品の後半、この紗幕が開いた途端にサウンドの明晰性が若干増したので、はじめからこの状態で聴きたかった、というのが正直な感想です。
極めて情報量の多いスコアなのですが、適切に演奏されないと各群の細かい動きが聞き取れず、ダラダラと持続和音が続くだけの退屈な曲に捉えかねないのですが、一度目に聴いたときにはまさにそのように聴こえてしまいました。紗幕の影響を疑って二度目は最前列で聴いてみたところ、一度目では聴こえなかった細部がはっきりと聴こえ、作品の躍動感や細やかな音色の変化を堪能することができました。

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photo: Klaus Lefebvre

合唱版にはないオーケストラ版の大きな特徴は、オーケストラ内のメンバーによる7組のデュオ(1箇所のみトリオ)です。
この挿入部分は《LICHT》の7つのオペラから引用した「回想」的な意味合いがありますが、そのほとんどが二人の奏者によって行われることも、当然「結婚」とリンクしています。
この挿入部が演奏されるときは、その二人(または三人)の奏者は、通常演奏している場所を離れ、オーケストラの前方や後方の高く作られた舞台に移動し、仲睦まじい様子で演奏をします。

実は、2003年にケルンのフィルハーモニーで行われたこの作品のドイツ初演の実演も聴いているのですが、その時は、合唱版の素晴らしい演奏とは裏腹に、オーケストラ版の低いモチベーションが特に挿入部でのソリストの演奏に感じられたことが記憶に残っています。
しかし、今回はmusikFabrikのメンバーの演奏意欲の高さが演奏にも良い方向に働き、この一連のデュオとトリオの演奏は、この長大なオペラを締めくくるのに相応しいものでした。

フィルハーモニーでの演奏の際には、客席の一部も使って、5つの各群を左右に大きく離しての演奏でしたが、今回はホールのステージの横幅が十分でなかったので、各群の奏者がかなり接近して座り、各群のキャラクターの違いが十分に明確でなかったこと、紗幕に映しだす映像のセンスに疑問を感じた(二重奏の場面で、演奏されている楽器のイラストを映写するetc.)などの不満はありましたが、本プロジェクトの中では控えめな演出だったのが、音楽を楽しむ上では良い結果となったといえます。

Sonntag20.jpg
photo: Klaus Lefebvre

終演後、ロビーに出ると、すでにロビーで《SONNTAGS-ABSCHIED 日曜日の別れ》が演奏されていました。これは《HOCH-ZEITEN》の5台のシンセサイザーによる別ヴァージョンですが、一種のBGMとして意図されています。ロビー内のスピーカーの品質はあまりよくなかったのですが、事前に得ていた情報通り会場の外に出てみると、屋外に向かってもスピーカーが5本設置されていて、こちらは良い音質で楽しむことができました。当然早々と車で帰宅する人もいて、そうした環境音も混ざってきますが、5台のシンセサイザーのやりとりがクリアーに迫ってくるのが楽しく、結局入口付近で最後まで聴く事になりました。

7回に渡る長大な連載となりましたが、これが2晩、または1日かけて演奏されたオペラ一曲分となります。《LICHT》 を構成する、オペラとしての全曲演奏は、1996年の《FREITAG aus LICHT 光の金曜日》以来なので15年ぶり、そしてシュトックハウゼン没後の初めての演奏となります。作曲者がいないことで、苦労した面、逆に揉め事にならなかった面(笑)、双方あると思いますが、シュトックハウゼンが生前から地道に続けていた、正統的な演奏によって作品を後世に残すための努力が、今回のプロジェクトの成功につながったと感じました。

あとは《MITTWOCH aus LICHT 光の水曜日》の全曲初演、そして《LICHT》全曲の通し演奏を残すのみです。聴衆の反応も概して熱狂的で、不可能のように思われるこれらの悲願も遠くない未来に実現されそうな気がしました。

演奏:
HOCH-ZEITENオーケストラ版
 指揮:Peter Rundel
 オーケストラ:musikFabrik
 サウンド・プロジェクション:Paul Jeukendrup

SONNTAGS-ABSCHIED
 シンセサイザー:Mark Maes, Frank Gutschmidt, Fabrizio Rosso,
         Benjamin Kobler, Antonio Pérez Abellán
 サウンド・プロジェクション:Kathinka Pasveer


#本記事のはじめに貼りつけた動画では、《光の日曜日》の各場面すべてのダイジェスト映像を見ることができます。また、本連載記事の写真掲載に関し、シュトックハウゼン音楽財団のKathinka Pasveer女史のご協力を頂きました。深く御礼申し上げます。


《光の日曜日》の最終場面は《HOCH-ZEITEN 至高=時》と名付けられた極めて特殊な作品となります。ドイツ語が少しでも分かる方ならこのタイトルが「結婚 Hochzeit」を暗示していることもすぐ分かるでしょう。このオペラのテーマは「ミヒャエルとエーファの神秘の結婚」ですが、それにちなみ作品の全編が様々な要素のペアリングに満たされています。
最も特徴的なペアリングは、基本的に同じ楽譜に基づく、オーケストラ版と合唱版という二つのヴァージョンが2つのホールで同時に演奏されるということです。この両者の演奏は無線通信で同期され、作品内の各7箇所で、他ホールの演奏の音声(と中継映像)が生演奏とミックスされます。

本プロジェクトでは、もともと場面ごとに2つのホールを使い分けて上演されていましたが、ここでは、この2つのホールが同時に使用されることになります。
オーケストラ版はBホール、合唱版はAホールで行われましたが、演奏自体は各ホールで2度行われ、半分に分けられた聴衆が休憩中にホールを移動することとなります。

以下の写真は、ホールの割り当てのために前場面の終了後、会場スタッフから渡されたカードです。
私がもらったのは2公演とも金のカード、こちらはA→Bという順序に移動、もう一種類の白いカードにはB→Aの順序で移動する指示があります。

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という訳で、私がまず聴いたのは合唱版の方、こちらは円形のAホールで演奏されました。
今回のプロジェクトでは合唱団の生演奏ではなく、初演時の演奏者、WDR合唱団による5チャンネルの録音の再生に合わせてダンサーが踊る、というスタイルが取られました。なぜ、5チャンネルのミックスかというと、全体が5群のコーラスに分けられ、各群が固有のテンポ、言語で歌う、という楽曲構成と関係しています。
この5チャンネルのスピーカーが聴衆を取り囲むように均等な間隔で配置され、その各スピーカーの前に5群のダンサーが踊るアイデアでこの場面は演出されていました。各群が別々の言語(ヒンズー語、中国語、アラビア語、英語、スワヒリ語)で歌うのに対応し、5群のダンサーはその言語に対応した人選、衣装の選択がなされていました。つまり、会場の中央から周りをぐるりと見渡せば、5つの異なる民族が同時に踊っている、ということになります。地球上で多様な民族が同時に生活している縮図の提示が、本演出のコンセプトです。
タイトル通り、各民族はそれぞれの民族衣装による結婚式をイメージさせる衣装で踊ります。なぜか中国チームの花嫁側は西洋式のウェディング・ドレスだったのはご愛嬌でしょうか。

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photo: Klaus Lefebvre

ちなみに、同会場で、第1場面、第2場面で置かれていたビーチベッドのような白い椅子は完全に撤去されていて聴衆は立ったまま作品を聴くことになります。しかもステージと客席の境目は全くないので、聴衆は会場内を自由に動き回りながら、5箇所に別れて踊っているダンサーの各グループを見る格好となります。歩行者天国で色々な場所で自由にパフォーマンスしている人を見物するようなイメージといえば良いでしょうか。
ダンサーの配置上、自ずから、5つの各グループを聴衆がぐるりと取り囲むような感じになりますが、そのため同時に異なる民族が踊っている様を見ようとしても、聴衆の背中が邪魔になってほとんど不可能、音楽で喩えると5声のポリフォニーの全体像を聴くことができずに、1〜2声部しか常に同時に聴けない、という状況が私にとってはストレスでした。

この場面でも、今までの場面に出てきたいくつかのアイテム(台車、火など)が再利用されていて、突如ダンサーが客席の間に割ってきたり、なぜかダンサーとお客さんが踊り始めたりと、これまでの場面でも過剰気味に感じられていた演出は、まさにやりたい放題、という感じでした。もちろんそれぞれのアイデアは面白いですし、単なる「見世物」としてはクオリティが高いのですが、「音楽を聴く」という視点にたつと、非常に劣悪な環境であったと言わざるをえません。5チャンネルのスピーカーから流れる合唱の演奏は、長期間のリハーサルを重ねた明晰度の高いものなのですが、5つの異なるテンポが同時進行する極めて複雑な作品を、この情報の洪水のような演出とともに聴くことは全くできませんでした。2度目に聴いた時には出来る限り聴覚に集中し、ダンサーの動きをできるだけ見ないようにして、ようやく音楽に耳を傾けることができました。

この作品の7箇所で、もう一つのホールで演奏しているオーケストラの音声が、中継されて、こちらの演奏にミックスされますが、それと同時にその演奏の映像も映写されます。この映像は、円形の会場の周りの壁に映写されますが、それ以外にも、世界中の様々な街や村の様子を写した映像が大量に映し出されているため、他のホールから中継された、という効果が薄まっていたのが残念でした。

この作品で印象的なのが、作品の終盤に入る頃、突如ステージにトランペッターが現れ、合唱団内の一人のソプラノとデュオを繰り広げるところなのですが、今回の演出ではそのトランペッターが宙を駆ける白馬に乗って現れます。この白馬は、もちろん、《DÜFTE-ZEICHEN》の最後に、子どものミヒャエルを乗せて行った白馬と同じですが、ここでのトランペッター(ミヒャエルを象徴する楽器)は大人になっています。テープ上演ということもあり、このトランペッターが完全に吹いているまねをしているのがありありと分かってしまうのは残念でしたが、このアイデア自体は非常に効果的だと思いました。
スコアには単に「トランペット奏者がステージに現れる」という指示のみですが、この白馬の演出は演出家のアイデアということだそうです。

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photo: Klaus Lefebvre

この幻想的な場面も終わり作品が向かい始めると、ダンサーが徐々に聴衆を客席中央に追い込み始めます。そして聴衆のまわりには車輪状の白いオブジェが並べられますが、これはよくみると、前の場面で使われていた客席用の椅子を組み合わせたものでした。
ダンサーが聴衆を取り囲むのとほぼ同じタイミングで別のダンサーもそこに加勢しますが、彼らは《ENGEL-PROZESSIONEN》の最後に登場したロボット風の天使(?)でした。楽曲の結尾で、彼らの両手に取り付けられたプラスチック状の羽根やライトが先についた細い棒を高く掲げ、最後の無音状態で照明の明かりがゆっくりと強くなることによって、このオペラのタイトル「LICHT 光」を暗示し、この場面の上演が終わりました。

なぜ、私がこちらの合唱版を先に聴き、オーケストラ版(こちらは次回アップ予定)を後にする順番で2度とも聴いたかというと(白いカードをもらえば逆順で聴くことで、違った体験ができました)、視覚に偏り過ぎたこの演奏で全曲を終えるのは嫌だと感じた、という事情があります。
私と同じく、日本からこの公演を聴きにきた清水穣氏は、この場面のことを「オリンピック」のようだ、と言っていましたが、実は今回の演出家の関わるLa Fura dels Bausはバルセロナ・オリンピックの開会式で有名になったことが分かりました。下の動画で見られるセンスは今回の演出とも大きな共通点が感じられます。


演奏:
指揮:Rupert Huber
合唱:WDR合唱団(5チャンネルによるテープ上演)
ダンス:ad hoc Ensemble
サウンド・プロジェクション:Kathinka Pasveer

その7につづく

シュトックハウゼン《光の日曜日》上演レポート(その2)

続く場面は、同じくBホールでの《DÜFTE-ZEICHEN 香り=印》です。この作品は7人の歌手、ボーイソプラノとシンセサイザーのための1時間弱の作品ですが、シンセサイザーは持続和音を伸ばすなど音楽的背景の役割にとどまっていることもあり、《光の日曜日》の中では音楽的にもっともシンプルかつ静的な場面となります。

僧侶のような出で立ちの歌手たちが、独唱から三重唱までの様々な組み合わせで、7つの曜日に関連付けられたマークや香りについて順番に歌っていく構成になっていて、演奏とともにそのマークや香りが実際に提示されます。
2003年の単独初演の際には、各曜日をあらわすマークが描かれた布がロール状に巻かれていて、順次それが旗を掲揚するような要領で広げられていく演出だったのが、今回は各マークの形に炎が燃えるように作られた大きなオブジェ(鉄骨のまわりに油をぬった布が巻きつけられている)がダンサーによって順番に運び込まれるというプランに変更されていました。

Sonntag02.jpgのサムネール画像
photo: Klaus Lefebvre

《LICHT-BILDER》と同様、水の張られた舞台での演奏ですが、このオブジェをダンサーが出し入れしたりする際にやはり水音のノイズがうるさく、水にまみれながらモソモソと入退場を繰り返すダンサーも、黒子的役割を超えた「うるさい」印象になってしまったのが惜しまれます。この各曜日のマークは、ステージを徐々に覆い尽くしていくスモーク(詳しくは後述)を利用して照明でも映写されましたが、こうした演出効果の印象が強すぎて、その前で様々なジェスチャーを作りながら歌っている歌手の存在感が希薄になってしまったのも残念でした。炎のオブジェが歌手に対して逆光の位置関係になって、歌手の動きがほとんど見えなくなる場面すらありましたし、このオブジェがグルグルと回転する場面は、ほとんどサーカスでした。

各曜日のマークと同様に重要な本場面のアイテムは、「香り」です。各曜日に、世界中の様々なお香が割り当てられていて、順番に各歌手がその7種類のお香をたいていくのですが、これまでの演奏での問題点は、その匂いが客席まで十分に届かなかったことでした。今回のプロジェクトではそれを解決するため、お香を持った黒子二人が客席の両サイドを歩くことによって客席全体に匂いを行き渡らせるように工夫し、完全ではないもののそれぞれの香りの違いを楽しむことができました。
ステージ上でも、歌手が様々な方法でお香をたきますが、あるときは舟の模型の上に、またある時は歌手の頭上の特殊な帽子の上など、視覚的な変化は富んでいるものの、やはり、ここにも演出の過剰さは否めませんでした。最後の方ではステージの大部分がスモークで隠れるほどで、あの状態で歌手が咳き込まずに歌えるのか心配になるほどで、これもやりすぎのように思われました。

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photo: Klaus Lefebvre

7人の歌手の歌う旋律線は、シンプルさと音響造形の見事さが同居した、シュトックハウゼン晩年の円熟を象徴する美しいものですが、頻繁なテンポ変化や声楽的な要求の高さなど、演奏は決して簡単ではありません。今回の演奏で、初演時にも歌ったことのある歌手は二人だけでしたが、他の歌手も総じて大健闘、美しいアンサンブルを聴かせていました。ただ、例えばバス・パートを歌ったMichael Leibundgut、決して悪い演奏ではなかったのですが、初演を歌ったNicholas Isherwoodと比べると、シュトックハウゼンの求める発音、アーティキュレーションの明晰性には物足りなさを感じましたし、バスのソロ部分に頻出する「いびき」の思い切りも今一歩でした。

今回のプロジェクトで最も賞賛されるべき演奏者は、ここでもテノール・パートを歌ったHubert Mayerでしょう。彼は《LICHTER-WASSER》《LICHT-BILDER》《DÜFTE-ZEICHEN》の3場面で、演奏至難なテノール・ソロのパートを(当然すべて暗譜で)歌っていますが、この登場頻度は、今回のプロジェクトの全演奏者の中で最多となります。これらの作品は、楽譜の複雑さと求められる演奏技量、スタミナなどを考えると、単独で演奏するだけでも大変なのに、疲れた顔ひとつ見せずにこれだけの分量を飄々と高い完成度で演奏してしまう様には、唖然とするほかありません。開演直前、演奏後に何度か話をする機会もありましたが、これほど大変な仕事をやっている緊張感、悲壮感のようなものが顔の表情からまったく窺い知ることができなかったのも驚きでした。ちなみに、さすがに今回は降り番となった《ENGEL-PROZESSIONEN》も含め、《光の日曜日》のテノール・パートはすべて彼が初演を担当していて、《魔笛》のタミーノを思わせる柔らかい声質が、シュトックハウゼンのイメージにぴったりだったこともうかがえます。

さて、《DÜFTE-ZEICHEN》の作品自体に話題を戻しますが、7つの曜日の香りとマークについて歌う主要部分に続いて、この場面、あるいは《光の日曜日》でもっとも重要な部分へと移行します。突如、どこからか、アルトのふくよかな声が聴こえ、それまでステージで歌っていた6人の歌手は客席後方へと向かい、黄金の衣装を着たエーファ(アルト歌手)が6人の歌手に先導されてステージ中央に向かいます(アルト歌手が歌う背後では、6人の歌手が《STIMMUNG》を彷彿とさせる倍音唱法を披露しますが、初演メンバーによるCDと比較すると、ここの効果は今ひとつでした)。

そして、エーファがさらにミヒャエルを召喚し、彼も客席後方から現れます。《LICHT》のほとんどすべての場面でテノール歌手またはトランペット奏者として現れるこのキャラクターが、ここではボーイソプラノとして現れます。
つまり、成人男性として描かれていたミヒャエルがここで突如少年に変化する、ということで、《LICHT》全曲の終結間近での重要な転換点となります。声種も、ミヒャエルがテノールからボーイソプラノへ、エーファがソプラノからアルトへとそれぞれ交替することで、この転換を音楽的に表現します。アルトの声が《LICHT》の中で大きく扱われるのは、唯一この場所だけという事実も極めて重要です。
《LICHT》の作曲にあたってシュトックハウゼンが参照した奇書《The Urantia Book》では、ミヒャエルはイエス・キリストと同一視され、同時に、この部分でエーファは「エーファ=マリア」と呼ばれることから、聖母マリアと一体化して捉えられていることが明らかです。
《光の日曜日》のテーマは「ミヒャエルとエーファの神秘の結婚」ですが、ここではそれがマリアとイエスという母と子の関係に置き換えられ、敬虔なカトリック信者であったシュトックハウゼンの宗教的源泉が顕となります。この神秘的な二重唱に差し掛かると、作品をよく知っているはずの私でも、あまりの美しさに思わず息をのみました。そして、この二重唱の最後で、白馬(の形をした木馬風の装置)が現れ、馬に乗って飛翔しながら去っていく暗示的なエンディングは、このオペラのもっとも美しい瞬間でした。演出に関しては、前述のとおりかなり不満がありますし、この場面に関しては、声の増幅の仕方(リヴァーブの処理など)が音質などの面でベストだったとは言えなかったのですが、そうした欠点をここでは忘れてしまうほどに完全にノックアウトさせられました。

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photo: Klaus Lefebvre

《KLANG》の《HIMMELS-TÜR 天国への扉》でも扉が開いた後、サイレンが鳴る中、少女が扉の向こうへ歩いて行くシーンとの共通性も感じさせ、ボーイソプラノという声と宗教的な内容の結びつきは初期の重要作《GESANG DER JÜNGLINGE 少年の歌》を想起させますが、シュトックハウゼンが亡くなった今、この場面に接し、何とも言えない気持ちになりました。

ソプラノ:Csilla Csövári, Maikr Raschke
アルト:Noa Frenkel
テノール:Hubert Mayer, Alexander Mayr
バリトン:Jonathan de la Paz Zaens
バス:Michael Leibundgut
ボーイソプラノ:ドルトムント・アカデミー合唱団のメンバー
シンセサイザー:Benjamin Kobler
サウンド・プロジェクション:Kathinka Pasveer

その6につづく

シュトックハウゼン《光の日曜日》上演レポート(その2)

第3場面《LICHT-BILDER 光=映像》は、その前の2つの場面が上演されたAホールの逆側のBホールで演奏されました。円形の特殊な客席配置だったAホールに対して、こちらはステージが客席前方にある通常のホールです。
オーケストラ、合唱といった大人数のアンサンブルの作品に続き、本作はテノール、トランペット、バセットホルン、フルートという4人のアンサンブルによる室内楽編成となります。こうした楽器編成の変化による効果は、全曲通して聴いてはじめて明らかになりますが、ここまでの2つの場面では客席いっぱいに広がっていた音響が、ここで一転し、せまい空間に凝縮されるような効果を生みます。

テノールとトランペット、バセットホルンとフルート、という二組のデュオが織りなす緊密なポリフォニーは一見地味なものの、音楽が耳に馴染んでくるにつれ、その驚異的な造形美がじわじわと体感できるようになります。本作は2005年にシュトックハウゼンが来日公演を行ったときにも演奏されましたが、その時よりもさらに音楽そのものの面白さを楽しむことができました。

二組のデュオはそれぞれ、一種の複雑なカノンを構成しますが、スコアに指定されている動きを伴うことにより、視覚的な面からもその構造が強調されます。オペラ形式の上演では、そこにさらに映像が加わりました。
この映像は、4人の演奏者の背後の巨大なスクリーンに映写されますが、今回のプロジェクトではその映像が3D上映されました。休憩時にホールを移動する際、会場スタッフの人から3Dメガネを配布される光景がオペラ上演で繰り広げられるのは、なんとも不思議な気分でした。

テノールによって歌われる歌詞は、短い神への賛美の言葉、そして神の創造物の名前の長大な羅列で構成されますが、ここで歌われた名前が立体映像で次々と現れる、という仕掛けになっています(時おり、映像がその前に立っている演奏者より前方に感じられるのは、音楽そのものとは関係ないものの、面白い体験でした)。このような臨場感あふれる3D上映を採用したことで、テノールが名前を発すると、魔法のようにその実物があらわれるかのような興味深い効果が生まれました。ただ、それがリアルなだけに、歌詞と映像の齟齬(様々な聖人の名前を歌っているのに、延々と仏像のCG映像が流れるetc.)は残念に感じられました。

そして、このBホールのステージ全面には水が張ってあって、長靴をはいた演奏者がその中で歌う演出になっていましたが、これもやはり「余計」と評価せざるをえませんでした。
「水」という要素は、《光の日曜日》のオペラの内容とも無関係ではないですし、視覚的にも美しいのですが、演奏者が常に何らかのジェスチャーを行いながら演奏するこの曲では、それに伴う水音が音楽の邪魔をしてしまう結果となります。トランペットとフルートに施されるリング変調の効果も聴きづらくなりますし、実際そうした配慮がなされていないことは、フェルマータで静止している部分、全員が休止している部分でも水音がかなり目立っていたことからも明らかでした。
特殊奏法による気息音などのノイズも音楽の重要な要素になっているのに、「水音」という、誤って音楽要素として認識されかねないものを無神経に付加することによって、音楽を破壊してしまったのは本当に残念でした。
さらに、何箇所かでは、スクリーンが舞台袖に引きこまれ(このノイズも気になりました)、そこから舞台後方で10名ほどのダンサーが水の中で踊る部分もありましたが、ここでの水音の大きさは相当なものになりましたし、演劇的な必然性も全く感じられない「見世物」的な効果にとどまっていました。

この作品の4人の演奏者のうち2人が初演時のメンバーと入れ替わっていることは、シュトックハウゼン演奏史においては、さりげなくも重要なポイントかもしれません。
なぜなら、入れ替わったメンバーは、シュトックハウゼンともっとも関わりの深いSuzanne StephensとKathinka Pasveerの二人だからです。この二人のかわりに今回ステージに立ったのは、その弟子の世代の二人ですが、来日公演で聴いた演奏と比べて遜色が無いどころか、今回の方が、むしろある種の余裕すら感じられたのが印象的でした。
テノールとトランペットの二人は初演と同じメンバー、当然、カティンカ、スージーの二人は自身の豊富な演奏体験をもとに徹底的なレッスンをつけているはずなので、そうした条件が良い結果に結びついたのかもしれませんが、「ファミリー・オペラ」などと揶揄されることの多かったシュトックハウゼン作品の演奏の様相が、一歩新しい方向へと進み始めた重要なポイントであると思います。

ちなみに、Kathinka Pasveerは音楽監督およびサウンド・プロジェクションを担当することによって、シュトックハウゼン本人がかつて行っていた立場を引き継いでいますが、Suzanne Stephensは表向きのクレジットはリブレットの英訳のみ、公演中は、一聴衆として作品を聴いているだけでした。合唱やオーケストラの出番も多い本上演では、ファミリー・オペラ的様相はほぼ消滅していると言えるでしょう。

演奏:
テノール:Hubert Mayer
トランペット:Marco Blaauw
フルート:Chloé L'abbé
バセットホルン:Fie Schouten
シンセサイザー:Benjamin Kobler
サウンド・プロジェクション:Kathinka Pasveer

その5につづく

シュトックハウゼン《光の日曜日》上演レポート(その2)

第2場面《ENGEL-PROZESSIONEN 天使=行進》は、その前の《LICHTER-WASSER》と同じ円形の会場(Aホール)で演奏されました。客席も同じ同心円状の配置ですが、基本的にオーケストラ奏者が客席内に散らばって定位置で演奏していた《LICHTER-WASSER》に対して、こちらでは、7群に別れた天使役の合唱(各群6人)が客席のあちこちを歩き回りながら歌う、という趣向になっています。

《LICHT》では、7つの曜日にそれぞれを象徴する色(月曜日=緑、火曜日=赤etc.)が関連付けられていますが、7つの曜日を象徴する7群のコーラスは、この7色の衣装を身にまとい、さらに演奏時には歌い手自身がスイッチを操作して衣装が光を発する仕掛けが施されています。基本的に、7群のコーラスが次々と交替しながら歌う構成になっているので、照明の落とされた会場のあちこちで、7色のコーラス隊が明滅するような結果となります。
作品が進行していくごとに副次的なコーラスも徐々に同時演奏するので、この衣装の効果もだんだんと派手になっていくことになります。こうした照明の効果はスコアには指定されていませんが、作品の構造が視覚的にも分かる好アイデアだと思いました。

例外的に4人のソリストで構成される第7グループの各歌手と、部分的に指揮をする指揮者は台車のようなものに乗って客席内を移動しますが、それほど厚い音響を持たない作品だけに、車輪のわずかなノイズでもそれなりに目立ってしまったのが惜しまれます。
暗闇でも指揮が見えるように装着された手のひらで白く発色するLED(?)は、演奏上必要だったのかもしれませんが、変に目立ってしまったのは残念でした。

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photo: Klaus Lefebvre

この作品の全体を通じて「トゥッティ・コーラス」という、さらに別の24人編成のコーラスも演奏に加わっています。このコーラスは円形の壁ぞいに聴衆全体を取り囲むように並び、終始ピアニッシモで持続和音を歌い続けて、音響的なエーテルのような役割を持っています。客席内のコーラスが歌っている間は音がカバーされて聞こえなくなりますが、こちらが休符などで音がなくなったときに、かすかに聞こえている格好となります。地味な存在ですが、360度から聞こえてくる甘美な音響に包まれる感覚は、生演奏でなくては味わえない貴重なものでした。

作品の一番最後には、7群のコーラスが全員で歌うコラール風のコーダが付け加えられていますが、CDだと混濁して聞こえた入り組んだハーモニーが、空間的に離れた場所で演奏する生演奏だとすっきりと聞こえました。
この部分に先立って、竹馬のようなものを装着し、手にはプラスチック状の飛行機の羽根のようなものをつけたロボットっぽい衣装のダンサー(これも天使?)が次々と入場、トゥッティ・コーラスの各歌手の間に入り込んで、一緒に神を讃えるようなポーズをとっていました。この人達はあとの場面でも登場するのですが、個人的には蛇足としか思えませんでした。

このように、どの場面でも必ず何か「余計」なことをやってしまう過剰演出が本プロダクションの問題点ですが、この場面では全曲を通じてもっとも「余計度」が少なく、音楽に集中しやすい環境が作られていました。

ちなみに7群のコーラスの歌う楽譜は、各種特殊唱法が満載、テクスチュア的にもかなり入り組んだ演奏至難なものですが、作曲者存命中に行われたこの場面のみの単独初演でシュトックハウゼン本人の薫陶を受けた、指揮のJames Woodが複雑なスコアをうまくまとめ上げ、見事な演奏へと結実させていました。カペラ・アムステルダムとエストニア・フィルハーモニー室内合唱団の高度なアンサンブル能力も今回の名演に貢献したことは、言うまでもありません。

余談ですが、関係者からの情報によると、意気投合した2つの合唱団の行き過ぎた酒盛りが原因で、公演期間中の飲酒禁止令が出たようです。きっとリハがものすごく大変だったのだと同情しますが(笑)、その甲斐あった素晴らしい演奏でした。

演奏:
指揮:James Wood
合唱:カペラ・アムステルダム、エストニア・フィルハーモニー室内合唱団
   ケルン歌劇場合唱団(トゥッティ・コーラス)
ソプラノ独唱:Csilla Csövári
アルト独唱:Noa Frenkel
テノール独唱:Alexander Mayr
バス独唱:Michael Leibundgut

その4につづく

シュトックハウゼン《光の日曜日》上演レポート(その1)

《光の日曜日》は、《LICHTER-WASSER 光=水》という二人の歌手とオーケストラによる作品で幕を開けます。

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photo: Klaus Lefebvre

会場中央の柱に向かって、同心円状に白い椅子が並べられ、29人のオーケストラ奏者は、その客席の中に散らばって演奏します。さらにテノール歌手(ミヒャエル)とソプラノ歌手(エーファ)は客席内を歩き回りながら歌う指定がスコアにありますが、今回の演出では、クレーンで体を持ち上げられたテノール歌手が客席上方を移動しながら歌い、ソプラノ歌手は5人ほどのダンサーで取り囲まれた神輿状の台車の上で歌うようになっています。指揮者および演奏者は宇宙服をイメージさせる衣装を着ているので、宙に浮かんで歌うテノール歌手は、さながら宇宙遊泳という趣でした。冒頭の歌い出しから、いきなり空中で横に倒れた姿勢で、さぞかし演奏は大変だったかと思います。
円形の会場の、客席を取り囲む白い壁には太陽系の様々な天体画像が映しだされますが、これは本場面の歌詞の大半が、ひたすら太陽系の惑星や衛星の名前を連ねていくことと関係しています。
そして、前述の白い椅子は、椅子というよりはほとんどビーチベッドのような形状で、聴衆が、壁だけではなく天井にも映しだされる映像を見たり、宙を舞うかのような二人の歌手を下から見上げることを意図したのだと思いますが、リクライニングがきつすぎて、結局首だけ持ち上げて会場内を見るような格好になってしまいました。

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photo: Klaus Lefebvre

音楽は、高音域で演奏されるミヒャエル・フォルメルと低音域のエーファ・フォルメルの2声のメロディーが、音色旋律で奏でられるというアイデアで作曲されていますが、メロディーの各断片が楽器間でどのように受け渡されて繋がっていくかが周到に計画されているので、2声のメロディーが聴衆のまわりを音色を変えながらぐるぐる回っていくような効果が生まれます。
同時に、歌手も様々に移動しながら歌ったり、基本的に客席内の定位置で演奏しているオーケストラの奏者がある場面で、壁際に用意された壇上に集まってファンファーレのようなものを奏でたりと、作品全体が音響の空間移動のさまざまなアイデアで満たされています。

オーケストラ奏者がばらばらに入場しながら演奏する導入部から、オーケストラ奏者の退場後、神秘的なムードで退場していく二人の歌手によるコーダに到るまで、会場の空間を浮遊する白昼夢のような響きは、このオペラのテーマである「ミヒャエルとエーファの神秘の結婚」に相応しいものでした。

音楽面の充実に対して残念だったのが、情報過多な演出プランです。これは他の場面も含めた本プロジェクト全体に言えることでもあるのですが、あまりにも視覚情報(しかも音楽と無関係)が多すぎて、もともと情報量の多い音楽に集中できなくなってしまうのです。作品をよく知っている私ですら、1度目の公演では音楽を十分聴き取ることができなかったほどですから、はじめてこの作品に接する人には演出面での印象しか残らなかったのでは、と思います。

例えば、天上からいくつかぶら下がっていた布状のものが途中から何やらモゾモゾ動き始めたと思ったら、ほぼ全裸に近いダンサーが隠れていて、だんだんと姿を表してパフォーマンスを始めたり(1度目の公演の時には私の座席の真上にいたので、色々な意味で目が釘付けに...)、様々な天体の映像に加えて、宇宙船のコンピュータのモニタ画面を思わせる映像が、かなりの自己主張をしながら映写されたり、といった感じです。

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photo: Klaus Lefebvre

さらにもう一点惜しまれるのが、ソプラノ歌手が病気のため出演をキャンセルしてしまったことです。初日から何度かの公演では普通に歌っていたようですが、私が聴いた、最後の2回の本番では、ともに出演することができませんでした。
このような特殊な作品ですので、カバー歌手を用意する余裕もなく、通常なら演奏自体が成り立たないのですが、前の本番で録音していたソプラノ歌手の音源に合わせて、指揮者が棒を振り演奏、ソプラノ歌手の動きは急遽別のダンサーが演じる、ということで演奏を成立させてしまいました。
ソプラノ歌手の声が聴こえる方を向いても、そこで踊っているだけの(口パクすらしていない)ダンサーがいるという状態には違和感を感じますし、本来想定していなかった、録音と生演奏の同期も、語尾の子音のタイミングがわずかにずれるなど、よく聴けばうまくいっていない部分もありましたが、何も知らずに音だけ聴けば、普通に演奏して少しずれた、としか感じられないほどのレベルで、キャンセル自体は残念ではありましたが、音楽そのものは十分に堪能することができました。
そしてそのような離れ業を短期間の準備でやってのけた指揮のPeter Rundel氏の「技」(耳で合わせる以外に、録音音源の波形も見ながらシンクロさせていたようです)にも感銘を受けました。

演奏:
オーケストラ:musikFabrik
指揮:Peter Rundel
ソプラノ:Anna Palimina(キャンセル)
テノール:Hubert Mayer
シンセサイザー:Urlich Löffler
サウンド・プロジェクション:Paul Jeukendrup

その3につづく

7つのオペラから構成され、総演奏時間29時間を要する、シュトックハウゼンの巨大プロジェクト《LICHT 光》の最終章《SONNTAG aus LICHT 光の日曜日》の始めての全曲演奏が先月中旬から今月の頭にかけて、ケルン歌劇場の主催で行われました。

この《日曜日》を構成する各場面は、単独演奏の形ですべて初演されていますが(東京でも2005年にこのオペラに含まれる《LICHT-BILDER》が演奏されました)、各場面の演奏形態がことごとく異なり、7つのオペラの中でも最も長大な演奏時間を要する、この作品の全曲演奏は、シュトックハウゼンの生前にはかなわず、今回のプロジェクトを待たなくてはなりませんでした。

念のために書いておくと、本作品は、「オペラ」といってもオケピットがあって歌手が何らかの物語を歌い、演じていくという伝統的な形態とはほとんど関係のない、シアターピースの連作のような様相を呈していています。本プロジェクトでは、その特殊な要求を実現するために、ケルン歌劇場のオペラハウスとは別の、特別な会場で演奏が行われました。

その会場はロビーをはさんで左右にA, Bという2つのホールがあり、5つの場面は、その演奏形態に応じてホールを交替しながら上演されました。最後の場面《HOCH-ZEITEN》は2つのホールで同時に演奏される作品なので、聴衆は半分ずつに分けられ、休憩中にホールを移動することによって2つのヴァージョンを聴くかたちになります。

各場面のタイトル、演奏時間、演奏されたホールは以下のとおりです。

第1場面《LICHTER-WASSER 光=水》52分 Aホール
第2場面《ENGEL=PROZESSIONEN 天使=行進》40分 Aホール
第3場面《LICHT-BILDER 光=映像》41分30秒 Bホール
第4場面《DÜFTE-ZEICHEN 香=印》57分 Bホール
第5場面《HOCH-ZEITEN 至高=時》オーケストラ版&合唱版 35分×2 Aホール+Bホール
《SONNTAGS-ABSCHIED 日曜日の別れ》 35分 ロビー及び会場入口付近

当然ながら、聴衆は作品によって休憩中にホールを移動することになります。しかも自由席で開演直前まで客席に入ることもできなかったので、良い席の争奪戦は毎回激しい物となりました。最後の《SONNTAGS-ABSCHIED》は、終演後にロビーなどでテープ再生の形で演奏される電子音楽で、いわゆるBGM的な位置づけがなされています。

ちなみにBホールは通常のコンサート会場のように前方にステージがある作りですが、Aホールは円形になっていて座席が同心円状に会場中央に向かって並べられていたり、客席自体を取り払ったりと、作品の音響空間に応じたアレンジがなされています。

声楽、器楽はもちろん、ダンサー、映像(3Dメガネも登場!)、匂いまで駆使した、情報量の多いステージは、その良し悪しは別として、このプロジェクトに対する主催者の異例なまでの意気込みを象徴していました。

上記のリストを見てわかるとおり、各場面の演奏時間を単純に足すだけで約5時間となり、各場面の間に休憩も必要なので、1日で全曲を演奏しようとすると殺人的なスケジュールになってしまいます。シュトックハウゼンはスコアに、理想的には3日に分けて演奏されるべき、という注意書きを書いていますが、今回の企画では《LICHT-BILDER》までを第1部、続く場面を第2部とし、2晩で全曲を演奏する、という形態を基本として上演されました。

そして、4月24日と5月1日の2公演では午後から夜にかけて、長大な全曲を1日で演奏する、という演奏家にとっても聴衆にとっても挑戦的な時間設定がなされました。
開演は正午、大きな休憩をはさみ全曲の演奏が終わったのは午後8時、という長大な演奏会となりましたが、ほとんど疲れを感じることなく、全曲を聴き通すことができたのは、我ながらちょっとした驚きでした。
ちなみに、私は楽日となった5月1日の公演と、その数日前に2部構成で上演された、計3日間の公演を聴きました。

主なスタッフは以下のとおりです。

音楽監督:Kathinka Pasveer & Peter Rundel
演出:Carlus Padrissa (La Fura dels Baus)
舞台デザイン:Roland Olbeter
映像:Franc Aleu

演奏:
オーケストラ:musikFabrik(指揮:Peter Rundel)
合唱:カペラ・アムステルダム、エストニア・フィルハーモニー室内合唱団、ケルン歌劇場合唱団(指揮:James Wood)
ほか

次回以降は、各場面の詳細を書いていく予定です。

その2につづく

全曲初演がいよいよ目前にせまったシュトックハウゼン《光の日曜日》、その第2場にあたる《ENGEL-PROZESSIONEN 天使=行進》のアナリーゼをしました。

《日曜日》の他の場面は、すべてシュトックハウゼン講習会のコンポジション・セミナーのテーマになっていて、すべて作曲者自身による極めて丁寧な分析をおさめたテキストを入手することが出来ますが、この曲だけはそうしたものがありませんでした。

シュトックハウゼンからの「宿題」のような気がしていましたが、ようやくこの曲のアナリーゼをまとめることが出来ました。

自分用のメモとして作ったので、これだけを読んでも全容は分かりづらいかと思いますが、スコアやCDに添付されているスケッチや譜例が理解の助けになろうかと思います。

ご興味のある方は、以下のリンクからPDFを見ることができます。

ENGEL-PROZESSIONEN分析.pdf



ケルン歌劇場での全曲初演が間近に迫ったシュトックハウゼン《光の日曜日》のリハーサルの模様がYouTubeにアップされましたので紹介します。

LICHTER-WASSER, LICHT-BILDER, HOCH-ZEITENの演奏風景が見られますが、これは本当に楽しみです。

すでにお伝えしているとおり、もうすぐケルン歌劇場でシュトックハウゼン《光の日曜日》の全曲演奏(この形式では初演)が行われます。この作品のほとんどの場面に関してはシュトックハウゼン講習会で作曲者本人によるレクチャーを受講していますが、その復習と、実演に接する予習も兼ねて、この作品のペアリングの側面に関して以下まとめます。

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《光の日曜日》は7つのオペラからなる超大作《LICHT 光》の最後に位置する作品であり、このオペラのテーマは「ミヒャエルとエーファの神秘の結婚」である。このオペラを構成する5つの各場面の作曲に対するアイデアの多くは、このモットーから導きだされている。
最も顕著なのが、「二者の結婚」ということから導きだされた、様々な要素をペアリングする、というアイデアである。
まず、各場面のタイトルがすべて二つの言葉の組み合わせになっている。

第1場面:LICHTER - WASSER(光=水)
第2場面:ENGEL - PROZESSIONEN(天使=行進)
第3場面:LICHT - BILDER(光=映像)
第4場面:DÜFTE - ZEICHEN(香り=印)
第5場面:HOCH - ZEITEN(至高=時)

さらに《HOCH-ZEITEN》はほとんど同一の楽譜による、合唱版とオーケストラ版という2つのヴァージョンがあり、この2つのヴァージョンが離れた位置にある2つの会場で同期して演奏される(7箇所で別会場の演奏が生演奏とミックスされる)。演奏者または聴衆が会場を移動した上でもう一度演奏されるので、この作品自体がペアとして聴かれることとなる。ちなみにこの曲のタイトルはHochzeit(結婚)の複数形とも等しい。

《光》全曲は、本作の主人公、ミヒャエル、エーファ、ルツィファーを象徴する3つのフォルメル(=旋律素材)を重ねた3声の「ズーパーフォルメル」(演奏時間1分)をもとに作曲されているが、《光の日曜日》においては、当初の計画を変更しルツィファー・フォルメルを省略した2声構造をもとにして作曲している部分が多い(注)。

LICHTER-WASSERの主要部分では、ミヒャエルのフォルメル(高音域)とエーファのフォルメル(低音域)による2声のポリフォニーが、客席内に散らばったオーケストラ奏者によって音色旋律(この演奏条件だと、当然音源も動きまわる)によって演奏される。ソプラノとテノールの二人の独唱者は、この器楽部分に寄り添うようなメロディー・ラインが割り当てられている。

ENGEL-PROZESSIONENは、客席内を練り歩きながら歌う7群の合唱団のための作品。コーラスの各群は、7つずつに分割されたミヒャエルとエーファのフォルメルの断片の49通り(=7×7)の組み合わせによる2声のポリフォニーを演奏する。

LICHT-BILDERはフルートとバセットホルン、テノールとトランペットという二組のデュオによる作品。各デュオは、一種の複雑なカノンを演奏する。1音ごとに先行するパートからの音価がだんだん伸び、そしてだんだん縮むという構造になっていて、さらに後続するパートはリング変調によって、音響による「影」が付加される。各デュオで演奏される素材は、53部分(=1+2+3+5+8+13+21)に細かく分節した上で逆行させたミヒャエル、エーファの両フォルメル。

DÜFTE-ZEICHENでは、全曲を構成する7つのセクションの様々な要素が2部分から構成される。各セクションで歌われる歌詞は前半と後半で内容が異なる。ひとつは各曜日の香りについて(実際に香がたかれる)、もうひとつは各曜日を象徴するマーク(旗のように掲示される)についての2種類の歌詞だ(順序はセクションによって異なる)。それぞれのセクションには、7部分ずつに分割されたミヒャエル、エーファ両フォルメルの骨格となるセリーが作曲素材として割り振られているが、その2つのフォルメル断片を旋律的または対位法的につなぎあわせた短いフレーズの繰り返しによって各セクションが構成されている。
ちなみに、作品の最後にはアルトとボーイ・ソプラノによる二重唱が置かれるが、この声の組み合わせは《LICHT》においては極めて異例だ。これは母と子の象徴と思われるが、熱心なカトリック信者であったシュトックハウゼンの発想から、これが何を意味するかは明らかであろう。

HOCH-ZEITENは合唱団、またはオーケストラが5群に分けられるが(各群は常に異なるテンポで演奏)、各群は2声部構成となっている。各セクションの基礎となるピッチの持続、そこからグリッサンドなどによる他のピッチへの逸脱の2つの役割が拍単位で細かく交代する。オーケストラ版では、作品中の7箇所で、それぞれ異なるオーケストラ奏者によるカップルが舞台前面に進みでて7つのオペラを回想する二重奏を演奏する。この部分は、特にオペラ形式で演奏されるとき、男女の奏者の組み合わせで演奏されることが推奨されている。合唱版では、作品の後半、突如ステージに現れたトランペット奏者と、合唱団内のソプラノ歌手によるデュオが用意されている。

ちなみに、シュトックハウゼンは3人の主要キャラクターと、特定の楽器、歌手を対応させている。
すなわち、
ミヒャエル:トランペット、テノール
エーファ:バセットホルン、ソプラノ
ルツィファー:トロンボーン、バス

(注)《光の土曜日》でルツィファーは死んでしまうので、《光の日曜日》に彼を象徴する音楽要素が作品に登場するのは相応しくないと判断し、ルツィファー・フォルメルを削除した。なお、切り離されたルツィファー・フォルメルの部分は《ルツィファーの牢獄》というタイトルが付けられ、大まかなスケッチも残っているが、実際に作曲されたかどうかは不明。シュトックハウゼンのレクチャーでは、この作品は、《光の日曜日》が演奏されているときに同時に地下のどこかで演奏されるべきだ、というような説明が、半ば冗談、半ば本気でなされていた。


シュトックハウゼンKLANGの分析、さらに続きます。
今回は7〜12時間目を一気にいきます。
すべて6時間目と共通の楽想を使った兄弟のような作品ですが、続けて聴いても全く飽きることがありません。その秘密が、以下の分析に隠れていると思います。

このアナリーゼを理解するには6時間目の構造、それを理解するには5時間目の構造の理解が必須ですので、再度リンクも張っておきます。


7-12時間目
6時間目の5つのセクションの演奏順を置換、様々な編成の三重奏で演奏(表1、2、3)。楽器編成の選択もシステマティックに計画されている。各セクションの楽譜は基本的に同一なので、各曲のコントラストではなく類似性が強調される。しばしばセクション間に挿入部が挟まれる(表4)。

表1:各曲の曲名と楽器編成
表1.png
*GLANZでは挿入句に [ob] - [tp / tb] - [tuba] が加わる

表2:5種類のカラーを持つ楽器:
表2.png
*ソプラノ・サックスはダブルリードの楽器ではないが、オーボエと類似した響きを持つ。ソプラノ・サックスと電子音楽のための20時間目《EDENTIA》は、初期のスケッチでオーボエが想定されていたことも注記しておきたい。

低音域(ob2, cl3, vn2)
中音域(ob2, cl1, vn2, tp2)
高音域(ob2, cl2, vn1, fl2)

同属楽器:8(ダブルリード),9(弦楽器),11(クラリネット属)、他の作品はその混合

表3:セクションの演奏順
表3.png
逆行の関係:6⇔7 8⇔9 11⇔12(わずかに差異有)
10=6(ただし10は大規模な挿入部を伴い、大幅に拡大)

表4:挿入部の配置
表4.png
(同じ文字でも色が異なるものは異なる音楽)



表5:挿入部の楽想の参照元:
表5.png
凡例)
I-1 セクションIの第1サブ・セクション
II[4,1] セクションIIの2つのサブセクションが同時に演奏されることを表す


表6:GLANZ第2挿入部の点描的な部分のリズム構造
表6.png
文字色が楽器を表す(後半の色の変化に注意)
数字は4分音符を単位とする音価、冒頭1拍のみ演奏、あとは休止
トリル部分のみ音価いっぱい演奏
背景色:黄色=トリル、グレー=休止、紫=トゥッティ
数字の下の点線:最後のトゥッティまで音を持続させる(和音が一音一音増えていく)


introなどで語られる言葉:

6: LOB SEI GOTT
(神に讃美あれ)
7: Gloria in excelsis Deo et in terra pax hominibus bonae voluntatis
(天のいと高き所には神に栄光、地には善意の人に平安あれ)
8: Noten zu Klängen zu Kreislauf zu Glück / GOTT ist Glück
(楽譜から音へ、円環へ、至福へ/神とは至福)
9: DANK SEI GOTT / DANKE GOTT FÜR DAS WERK HOFFNUNG
(神に感謝あれ/神よ、この作品《HOFFNUNG 希望》に感謝)
10: Gloria in excelsis Deo / et in terra pax hominibus bonae voluntatis
(天のいと高き所には神に栄光、地には善意の人に平安あれ)
11: TREUE ZU GOTT
(神への忠誠)
12: ERWACHEN IN GOTT
(神の中での目覚め)


6時間目:5時間目のサブ・セクションの順序を置換し、三重奏に拡大
7〜12時間目:6時間目の(メイン)セクションの順序を置換し楽器編成を変化


 類似した楽想の連続的な提示は、《グルッペン》や《カレ》などの演奏至難な作品を一晩の演奏会で複数回演奏したことに始まる。複雑な作品を複数回演奏することによって聴衆の理解を深め、演奏者の負担の軽減、およびそれに伴う演奏精度の向上も狙っている。《ピアノ曲XI》など、ひとつの楽譜から様々なヴァージョンが現れうる作品では、複数回の演奏が、作品の不確定性による多様性を顕にしつつ、作品の構造にさりげなく親しむことも狙っている。
 《光の日曜日》の最終場面《HOCH-ZEITEN》では同じ楽譜に基づく合唱による版とオーケストラによる版が2つのホールで同期しながら同時に演奏され、2度目の演奏では、聴衆または演奏者がホールを交代する。さらに幕切れ後にロビーなどで演奏される《日曜日の別れ》では、この作品の5台のシンセサイザーによるヴァージョン(但し、いくつかの挿入部分は割愛)が演奏されるので、同じ作品の楽器だけを入れ替えたヴァージョンを3つ連続で聴くことになる。
 5〜12時間目の類縁性は、こうした傾向が高度に洗練されたものであるといえる。

昨日の5時間目に引き続き、6時間目のアナリーゼです。
6時間目は5時間目の作品全体を素材としているので、前回の記事を読まないと全く理解出来ないと思います。未読の方はまずそちらをお読み下さい。


6時間目:SCHÖNHEIT

HARMONIEN全体を素材としてバス・クラリネット、トランペット、フルートのための三重奏に拡大。
5つのセクションはHARMONIENのそれと対応、サブ・セクションは10に拡大
(第I部だけ九つ、ただし導入部をカウントすればここも10)

HARMONIENの3つの版を同時に演奏する発想。
したがってバス・クラリネットのみ他のパートより長2度低く演奏
ただし5つのサブ・セクションの演奏順序がパートごとに置換されている(表1)
5つのサブセクションのすべてが演奏されるまでは、同じサブセクションは繰り返し演奏されない(太線参照)

表1:基本構造(上からfl, tp, b-cl)
表1.png

上記基本構造に加え、手の空いているパートはしばしば、別の奏者の演奏するサブ・セクションに注釈をつける(表2)
・構成音のいくつかの音にユニゾンで重なり持続音を作る(しばしばグリッサンドなどで変化)。
・完全4度、オクターヴなどの平行和音の付加、あるいは、構成音を適宜置換し和声付に利用


表2:より詳細な構造
表2.png


凡例)
E:挿入句
S:コーダ(バス・クラリネット版にはこの部分は存在しないので、このパートでは演奏されない、バス・クラリネットはかわりに、セクションVのメロディー部分のみをつなげて演奏[melo])
h:和声的なコメント
u:ユニゾン的なコメント

HARMONIENの各サブ・セクションは固有のテンポを持ち、rit.などのテンポ変化も伴うため、本作で、複数のサブセクションが同時に演奏される箇所では必然的にポリテンポが生じる。(表3、他のパートに付随する部分は、主要なパートのテンポに同期する)
これらの複雑なテンポの交錯は指揮者なしのアンサンブルにより実現される。
HARMONIENではほぼ常にcresc.などのディナーミクの変化を伴いながら演奏されるが、その指示も踏襲されているので、各パートの強度の関係も非常に複雜になっている。

表3:テンポ構造
表3.png

参考)
シュトックハウゼンのポリテンポの探求:
GRUPPEN(1955-57)(3つのテンポが同時進行)
ZEITMASZE(1955-56)(奏者ごとの独立したテンポ設定)
HOCH-ZEITEN(2001/02)(5つのテンポが同時進行、クリックトラック使用)
HIMMELFAHRT(2004/05)(キーボード奏者の左右の手が常に異なるテンポで演奏)

シュトックハウゼンの連作KLANGの解説第2回目です。
とはいえ、この前の記事は昨年の11月になるので、リンクを張っておきます。

今回の解説は5時間目にあたる《HARMONIEN ハーモニー》です。
シュトックハウゼン最後の管楽器のためのソロ作品、徹底的に無駄を削ぎ落とし、彼の作曲法のエッセンスが凝縮された、地味ながらも美しさに満ちた作品です。
出版されている楽譜と見比べれば、この分析でほとんどすべての音がなぜそこにあるのか、という理由が分かるかと思います。
そして、このアナリーゼの通り耳で追える、というのも重要なポイントです。

---

KLANG 5時間目:HARMONIEN

2006年5〜6月に作曲。
バス・クラリネット、フルート、トランペットのための3種類の版がある。
楽器法の都合などによる細部の違いはあるが、基本的には同一の作品。

《KLANG》全曲の基礎となる「24音セリー」(譜例)の反行形の終わりに冒頭の1音を加えた、25音のセリーを本作のピッチの基本素材として使用。

譜例
譜例1.jpg


全体は5つのセクションに分かれ、セクションごとに異なる移高形でこの25音セリーが呈示される。
5つの各セクションはさらに5つのサブ・セクションに分かれ( 5×5の25部分からなる構造)、それぞれ3〜7個のピッチを持つ。各セクションのピッチ数は3+4+5+6+7=25となる(表1)
各セクションでメロディーが低音域から高音域へ上昇、そして再び低音域へ戻るように計画

25の各部分のテンポは第1セクションで提示されるセリーをテンポの半音階に置き換えたもの(表3)
ゆっくりしたテンポから急速なテンポへ加速し、またゆっくりとしたテンポへ戻るようにテンポのオクターヴを計画。

各サブ・セクションでは、セリーが旋律的に演奏されたあと、急速なアルペッジョの繰り返しで同じピッチ群が繰り返され、和声的な印象をあたえる(作曲者は「リトルネッロ」と呼ぶ)。
この繰り返しの回数はフィボナッチ数列の5種類の数値から定められる(表2)
繰り返しの間に、休止、テンポ、奏法、音域の変化も伴う。
旋律的に演奏される部分のリズム構造は、1時間目《HIMMELFAHRT 昇天》で使用された「リズム・ファミリー5」から転用(注)

冒頭に、序奏として4つの単音がフェルマータで演奏される。
このピッチは24音セリーの原形の冒頭4音。
5つのセクションで使用される25音セリーは24音セリーの原形の5〜9音目を開始音とする移高形。

後半の2箇所に、対照的な挿入句が置かれる。
IV-4のあとに最低音域による挿入部(テンポ30)
V-3のあとには最高音域による挿入部(セリーの25音が一気に演奏される)

はじめにバス・クラリネット版を作曲。
フルート版は長2度上に移高(およびオクターヴの変更)、短いコーダを追加
トランペット版ではさらに、冒頭の4音のフェルマータの間の3箇所の休止で「LOB SEI GOTT(神に讃美あれ)」と喋る部分を追加。

(HARMONIENバス・クラリネット版の出版譜に、以上のアナリーゼの大半が記されているスケッチ有り)


表1:メロディーの構成音数
表1.png
はじめは3→7(増加)、最後は7→3(減少)
7の位置ががだんだん前に


表2:リトルネッロのアルペッジョの繰り返し回数
表2.png
IとVは同一(減少)
II:Iの1、3個目を置換
III:Iの1、5個目を置換
IV:IIの5個目を3個目に移動

各セクションの冒頭:21-8-3-8-21(シンメトリー)
2個目は必ず13回
セクションの最後は、第3部をのぞき少なめの回数(3 or 5)
メロディーの構成音数とリトルネッロの繰り返し回数の組み合わせが重ならないように配慮されている。


表3:各部分のテンポ
表3.png
I-2は本来ならば53.5であるべきだが、63.5に変更することにより、冒頭と結尾の2つのテンポがシンメトリックな関係になっている。


注) リズム・ファミリー
・16分音符24個分の音価(=付点全音符)を12通りに分割した音価群を得る。(表4)

・これを12のグループに適宜割り振る(この操作は感覚的)
(上段の数字はリズム・ファミリー内のグループの番号、それぞれのグループが持つ音価群は表を縦に読む)

・それぞれのグループの音価を順序を自由に並び替える。
(このようなリズムの集合体を12種類作ったが、HARMONIENではそのうちの第5ファミリーのみを使用。詳細は2006年度シュトックハウゼン講習会のテキストへ。)
・「リズム・ファミリー5」では、16分音符5個分の音価を4個、4分音符を1個含むリズム(合計すると16分音符24個分となる)を8セットつくり以下の5つのグループの結尾に挿入句として加える。
グループ1、グループ3、グループ6(2個)、グループ8、グループ12(3個)

・本作ではこのリズムの音価を2倍にしたものを、グループ12からグループ1へ逆行で読み、各ピッチに当てはめている(一部例外的な処理もあり)。

表4
表4.png
例)
24×1:16分音符1個分の音価が24個
8×3:16分音符3個分(=付点8分音符)の音価が8個
4×5+4:16分音符5個分の音価が5個と16分音符4個分の音価(=4分音符)が一つ
3×7+3:16分音符7個分の音価が3個、内1つの音価には16分音符3個分の音価を加える。

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双子座三重奏団うるう日ライヴ
2012年2月29日19:00-
門仲天井ホール

双子座2012チラシtogo.jpg

中川俊郎:バッハーズ・アロウ
森田泰之進:こうふくのしま
鈴木治行:蛇行
山本哲也:スライドホイッスル三重奏曲
ケージ:ラジオ・ミュージック
ほか

出演:
曽我部清典(トランペット)
中川俊郎(ピアノ)
松平敬(声)

コンサート詳細はこちらまで

■タリス:40声のモテット
(一人の歌手による多重録音)

ご試聴、ご購入は以下まで
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e-onkyo music
OTOTOY

■松平敬 1stアルバム
《MONO=POLI》

 マショーからケージまでの声楽アンサンブル作品を、多重録音によってすべて一人の声のみで演奏したアルバム。
 16声部のリゲティ《ルクス・エテルナ》も収録。

ENZO Recordings
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平成22年度文化庁芸術祭
レコード部門優秀賞受賞作品

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