今年の講習会の最後のコンサートは「光」の「木曜日」からの抜粋でした。第1幕からの2つの場面、MONDEVA, EXAMENが続けて演奏され、休憩をはさんで最終場面VISIONが演奏され、「木曜日の別れ」で終わると言う内容です。
「木曜日」は舞台の歌手や楽器奏者で演奏される音楽に加えて聴衆を取り囲む8チャンネルのスピーカーから「見えない合唱」という電子音楽(とはいえ録音された素材は合唱です)が再生されますが、「木曜日」の全曲版CDではこの生演奏とテープの音響の重なりがうまく捉えられているとはとても言えません。そもそもこうしたコンセプトの音楽はステレオで収録する事は不可能なのです。
「火曜日」「水曜日」「金曜日」でもステージ上の生演奏と聴衆を取り囲むスピーカーから再生される電子音楽の同期が試みられていますが、「木曜日」ではそれらに比べて電子音楽はより弱く(場合によってはほとんど聞こえない)再生されるようになっているので、作曲者が意図した効果を体験するにはやはり生演奏に接するしかないのです。
MONDEVAはミヒャエル(テノール歌手)とエーファ(バセットホルン奏者)によるちょっとユーモラスで愛嬌に満ちたデュオです。この演奏会ではいつもはスージーが演奏するエーファのパートをドイツ在住の日本人曽田ルミさんが演奏しました。彼女はミラノでの「月曜日」全曲の初演への参加(同曲のCDでも演奏しています)を始めシュトックハウゼンからの信頼も篤く、このような大役も引き受けた訳ですが、彼女から無意識に溢れる日本人らしさがエーファのキャラクターと不思議にマッチしていてなかなか興味深かったです。ミヒャエル役のフベルト・マイヤーはMichaelion, Lichter-Wasser, Engel-Prozessionenの初演に参加し、来るDuefte-Zeichenの初演にも参加予定のすっかりシュトックハウゼンのお気に入りになってしまったテノール歌手ですが、すらっとしたルックスとリリックな声がとても印象的でミヒャエル役にもぴったりです。
この愛らしいデュエットにそのまま続いてExamenが始まります。
本来の編成から若干演奏者を減らした、トランペット、テノール、マイム、ピアノ、バセットホルンの編成による版で演奏されました。ここの場面でミヒャエルはトランペット、テノール、マイムという3つの様相で順に表れ最終的にこの3つの様相が同時に呈示されることになります。
テノールは先程と同じくフベルト・マイヤー、トランペットはウィリアム・フォアマン、マイムはカティンカが演じました。
カティンカがフルートだけでなくマイムも演奏するのは2000年の「祈り」でのパフォーマンスでよく知っていましたが、今回のマイムも非常に美しく彼女の多彩さに改めて驚きました。
トランペットのウィリアム・フォアマンはマルクス・シュトックハウゼンの後釜としてトランペットの講師として参加したのですが、正直いって彼の演奏には全く満足できませんでした。まず「見た目」がミヒャエル役にふさわしいすらっとした体形でないのです。楽器奏者が役者としてもステージ上で振る舞うシュトックハウゼン作品の演奏において、視覚的要素は決して軽んじる事が出来ません。見た目に関してのもう一つの不満は楽器の構え方です。彼はややベルを下に下げたようなスタイルで演奏するのですが、これもミヒャエルのキャラクターには相応しくありません。ちなみにマルクスは体に対してほぼ垂直になるように楽器を構えていましたが、やはりこうでなくては舞台映えしないと思いました。そして、一番の不満が演奏そのものです。こうした作品の演奏に対して天才プレーヤーであるマルクスと比べざるを得ないのは彼にとっては酷なのですが、そこを考慮してもミス・トーンがあまりにも多いのは頂けないし、フレージングもシャープさに欠き、彼には非常に申し訳ないですが、マルクスが演奏してくれればなぁ、としみじみと思わずにはいられませんでした。
この作品には「伴奏者」役として演じるピアニストの役割が非常に重要なのですが(実際この場面からピアノ曲XIIが派生しています)、怪我で演奏できなくなったエレン・コルヴァーの代役で急遽演奏する事になったフランク・グートシュミットが大健闘でした。彼は2001年の講習会でピアノ曲Xを暗譜で、しかも大変素晴らしい演奏で作曲者を含む多くの聴衆に感銘を与えましたが、ここでも短い準備期間にも関わらず非常に充実した演奏を行いました。
MONDEVAにしてもEXAMENにしても音楽の複雑さにも関わらず、音響が極めて美しく透明感に溢れている事に大きな感銘を受けましたが、この後にさらに大きな感動が待ち受けていました。
「木曜日」最終場面のVISIONはハモンドオルガン(今回はシンセサイザーが使用されました。演奏はアントニオ)による静的な和音の上にテノールとトランペット、そしてマイムが、聴き取れるギリギリの微弱な音量によって演奏する作品ですが、聴覚的要素と視覚的要素が密接に関連し、微細な音響の戯れに満ちあふれた作品の魅力はやはり生演奏に接しないと分かりません。この作品においては3人で1人であるミヒャエル(三位一体?)がほとんど同一のリズム(もちろん例のごとく細かくテンポが揺れ動きます)でしかもほとんどアイコンタクトなしで演奏をしますから(もちろん指揮者なしで)、リハーサルはかなり大変だったようですが本番では非常に充実した演奏を聴くことができました。
この神秘的な作品の演奏では照明もとても印象的でした。
この作品が終わると同時に「木曜日の別れ」の音楽が始まり、その演奏(ウィリアム・フォアマンの生演奏とテープに録音されたマルクスの演奏)に合わせて3人の演奏者が舞台下手へと極限のゆっくりさで退場していくのですが、そこに当てられた深いブルーの照明は得も言われぬ美しさでした。「木曜日の別れ」はミヒャエルのフォーミュラの断片を5人のトランペット奏者が同時に、しかし同期する事なくゆっくりと繰り返していく作品ですが、この作品の静的なテクスチュア、動いているのか動いていないのか区別のほとんどつかないゆっくりとした3人の動き、そして美しいブルーの照明の美しさが見事に調和して今回の講習会の最後を見事に彩っていました。