「日曜日」からの4つのシーン(後編)



 今年はHOCH-ZEITENに加えてDÜFTE-ZEICHEN(「香り - 印」)もコンポジション・セミナーのテーマとして取り上げられ、講習会の後半はこの作品についてのレクチャーでした。この作品はザルツブルク音楽祭より委嘱を受け、同音楽祭で初演された7人の歌手、ボーイ・ソプラノ、シンセサイザーからなる1時間弱の大作で、はじめに初演のメンバーでマルチ・チャンネル録音された音源をまず通して聴きました。ステレオ・ミックスされた録音の再生とは違って、マルチ・チャンネルによる演奏は非常に臨場感があり、クリアーな音質で聴ける、そして生演奏に必要なリハーサルはもちろん演奏者自身がそこにいる必要もないので(特に多くの演奏者を必要とする場合この問題は切実になります)、生演奏の一種の代替手段としても有効ですし、それ以上の音楽的意味もあります。レクチャーだけでなく演奏会でも一種の電子音楽のような感じでのこうしたマルチ・チャンネルの上演も最近よく行っています。本講習会では「日曜日」からの1つの作品の生演奏と3つの作品のマルチ・チャンネルによる上演による演奏を聴きましたが、実質的には4つの作品の実演を聴いた、という体験にかなり近いとも言えます。

 この作品の印象を一言で言うと、とにかく「美しい」という事です。疑似調性的なノスタルジックな美しさではなく、妥協のない音楽探究の果てに掴み取った究極の美しさです。シンセサイザーが静的な和音をひたすら延ばす上に、歌手達が様々な組み合わせ(ソロ、デュオ、トリオ)で非常に美しいメロディーを奏でていきます。シンセサイザー奏者はその歌手達の音楽に対してシンプルなスタイルで注釈を付けていきますが、プログラミングの巧みさもあって、これも非常に効果的で美しいです。この作品ではいわゆる特殊唱法のようなものはほとんど出て来ませんけど(例外的にバス歌手のいびきを思わせる「鼻鳴らし」が奇抜でユーモラスな効果を生み出しています)巧みなメロディーの構成からシュトックハウゼンの円熟した作曲技法の素晴らしさを感じ取る事が出来ます。歌手達には非常に広い声域と極めて複雑なテンポ構造の把握(ほとんど毎小節が3つの異なるテンポの変化を持つ部分もあります)、そしてかなり複雑なジェスチャーの習得と、演奏は決して容易ではありませんが、それが「いかにも複雑」な音響ではなく、一見非常にシンプルな音響に結実しているところがとても興味深いです。

 レクチャーでは、『光』のスーパー・フォーミュラからどのようにこの作品の全体の時間的、和声的レイアウトが決定されたかという毎度おなじみの説明に始まりましたが、そのレイアウトから細部を決定していくプロセスの説明はとても興味深かったです。この作品は本質的に歌い手の歌うメロディー(あるいはポリフォニー)とシンセの弾き延ばされる和音だけから構成され、シンセの和音はスーパー・フォーミュラから直接導きだされるので、細部の決定は純粋にメロディー・ラインだけ、ということになります。
 この作品はいくつかの部分にさらに細かく分かれ、そこで歌手の組み合わせが変わるのですが、メロディーの作曲法もそれぞれの部分で違うアイデアに基づいています。それぞれの部分に割り当てられたミヒャエルとエーファのフォーミュラの断片を様々な方法で変容させたり組み合わせたり、というのが基本で、その変容の方法も割とシンプルなルールに基づいていますが(半音階で機械的にずらしていくだけ、というのもあります)、そこから非常に多様なメロディーが生まれてくる様子がテキストに印刷されたスケッチのファクシミリに収められています。スケッチの段階でもう最終的なヴァージョンとほとんど同一なのに驚かされますが、音楽的な霊感の素晴らしさと合理的で効率的な作曲法の良さがうまく組み合わさった非常に良い例だと思いました。
 この作品の一部を私は練習してレッスンを受けた、ということもあり、もともとスコアについてはある程度知っていたので、理解度も非常に高く身になるレクチャーでした。
 
 ちなみに、この作品の最後の部分で、アルト歌手とボーイ・ソプラノが登場し、6人の歌手の「倍音コーラス」の上でこの世のものとは思えないデュエットを演奏しますが、この部分は20年以上に渡って作曲し完成させた、長大な『光』全曲の中の中で最も美しい部分であるといっても過言ではないと思います。

 
 本講習会の最終日の演奏会では「日曜日」のENGEL-PROZESSIONEN(「天使の行進」)が8チャンネルのテープ再生のスタイルで演奏されました。この作品はア・カペラのコーラスのための40分ほどの作品で、客席の中を複雑に歩き回る7群のコーラス(7つめのグループはソリストによる4重唱です)と客席の周りを取り囲みピアニシモの静的なハーモニーを歌うトゥッティ・コーラスとに別れて演奏しますから、8チャンネルのスピーカーから再生する方式は生演奏の複雑な空間移動を完全に再現はできないものの、グループからグループへと音楽を受け渡していく効果を非常に明確に再現する事は十分可能です。これはCDをステレオで単純に再生することでは決して出来ない芸当です。それぞれのグループは2声部の音楽を演奏しますが、ア・カペラで歌うには非常に細かく複雑な音楽で舌打ちやキス・ノイズなどの特殊唱法も含まれています。そしてそれぞれのグループはスペイン語や中国語など、別の言語で歌うためにさらに音響構成が複雑になっています。しかし、シュトックハウゼンはそうした複雑さ自体を目的とするような安易なことはせずに、基本的にそれぞれのグループを交替で歌わせる事により(部分的に各グループが重なる部分もあります)細かい音響が複雑さのなかに埋もれてしまわないような工夫をしています。
 結果としてのトータルな音響は、聴衆の周りを歓びに満ちた軽やかな歌声が動き回るような感じになっています。
 
 数ヶ月前に発売されたこの作品のCDには、作品本体に加えて、前述のピアニシモで演奏されるトゥッティ・コーラスのみを取り出した録音が2枚目のCDに収録されています。このパートだけを独立した作品として演奏はできないのですが、録音を聴けば、なぜこのパートだけわざわざ分離して収録したかが良く分かります。
 本来の演奏条件だと、このトゥッティ・コーラスは7つのコーラス・グループが全員休符である短い時間だけ、かすかに顔を出すような格好になりますから、このパートの細部を聴き取る事は難しいです。当然トゥッティ・コーラスはそうした演奏条件を予め想定して基本的に静的な和音を延ばすだけという非常にシンプルな作りになっていますけれども、背景に留めておくだけではあまりにももったいない神秘的で美しい響きに満ち溢れているのです。
 
 ちなみにここで紹介したDÜFTE-ZEICHENとENGEL-PROZESSIONENはCDに加えて、非常に素晴らしいスコアも発売されています。ハードカバーで初演のリハーサル時の非常に美しいカラーの演奏写真が満載、スコア本体もコンピューターをフル活用して非常に美しく浄書された、それ自体が芸術品と言いたくなる非常に美しいスコアです。ほとんど商売で儲けよう、という気がないので、徹底的に細部までこだわった仕上がりにすることができるのですが、近年シュトックハウゼン出版がドイツの楽譜出版に関する賞を何度も取っていることが良く理解できます。

続きを読む 目次に戻る