今年のコンポジション・セミナーのテーマはKinderfaengerでした。この作品は「光」の「月曜日」の最終場面を独立した作品として演奏できるようにしたものです。「光」からのこの手の作品は、単に場面を抜き出し楽器編成を縮小したものがほとんどなのですが、この作品に関しては少し違います。原曲で少年合唱が担当していたパートを第2シンセサイザーが受け持つのですが、そのまま楽器を変えるのでなく、時間的な構造のみ残してフレーズ自体は全く新しいものに作り替えました。
この作品はフルート独奏(前半でアルト・フルート、後半でピッコロを演奏)と、2台のシンセサイザー、1人の打楽器奏者と4チャンネルから再生されるテープという編成で演奏され、録音がシュトックハウゼン全集の第63巻に収録されています。10年以上前に録音された「月曜日」全曲盤のものと比べて、音質が信じがたいほどクリアーで美しく、演奏内容も極めて密度の高いものに仕上がっていて、この作品に対する印象が全く変わってしまいました。この録音は24チャンネルを使って行われましたが、シュトックハウゼン自身もこの録音の仕上がりに大満足らしく、24チャンネルの各チャンネルの音を取り出し解説していくという、大サービスのレクチャーでした。
この作品の基本的なアイデアは、サウンドシーンと呼ばれる4チャンネルのテープに録音された様々な日常の物音をフルートや打楽器奏者がまねをしたり変形したりしていく、というものです。これだけだと何でもないような感じもするのですが、そこはさすがシュトックハウゼン、安易な結果には決して陥っていません。
まずサウンドシーンに収められている素材の音ですが、様々な人の声、遊園地での乗り物の音、その辺で流れていそうな(少しエキゾティックな)音楽の断片、動物の鳴き声、ビリヤードの音、ラジオなどで使われそうなチープな効果音のような音響など多種多様な音響が現実には決してあり得ないような順序で組み合わされ、4チャンネルのスピーカーを駆使した様々な空間的な動きを伴って再生されます。まずこのサウンドシーンのみを取り出して聴く事が出来ましたが、意外で効果的な音響の連鎖が面白く、これだけでも十分楽しめるほどの楽しさでした。
シュトックハウゼンはこれらのサウンドシーンを聴音して五線譜に書き取りその楽譜をもとにフルートでの模倣の音形を作曲しました。フルート奏者はたんに楽器の音でこれらの音を模倣し変形するだけでなく、声や複雑な動きも使ってこれらの音に反応をします。発せられる言葉がしばしばユーモラスだったりしますが、技術的に凄まじく難しい事をしながらそれを感じさせないようにこのようなことを行うのは相当大変だと思います。
先程も延べた通り打楽器奏者も様々な打楽器を駆使してこれらのサウンドシーンに音の注釈を付けます。実はテープからもこのサウンドシーンを電子的に変形したもの(音高やテンポの変形)が再生され、フルート、打楽器、テープによるサウンドシーンへの注釈がしばしば重なって行われるため、音の連想の連鎖が複雑に絶え間なく起こっているような印象を与えます。
フルート奏者が何か演奏すると、2番シンセサイザー奏者が細かい音形でこれに答えますが、こちらは基本的にサウンドシーンとは関係のないフレーズを演奏します(原曲では少年合唱がフルート奏者の演奏した音形をそのまま真似していました)。このフレーズは「光」のもととなるスーパー・フォーミュラ(厳密には、さらにその骨格となる「核セリー」)をもとに作られていますが、実はフルート奏者の音形もスーパー・フォーミュラから作られています。つまりフルート奏者の奏する音形はスーパー・フォーミュラに関連していると同時にサウンドシーンの音響にも関連している、という極めて複雑な関係を持っている訳です。
スーパー・フォーミュラからどのように細かい音形を作っていくのか、ということに関してもシュトックハウゼンは説明をしましたが、ここで詳細は書けないものの、極めて自由で且つ論理的な展開をしています。
第1シンセサイザーはフルート奏者が奏する時に和声的な補助を加えますがこの和声付けも非常に論理的です。シュトックハウゼンにとって和声とは旋律を集約したものという考え方をしています(これは伝統的な調性音楽でも実はそうですし、シェーンベルクの12音技法も同じ考え方であるといえます)から、和声付けもこの基本にのっとっています。例えば1〜12とそれぞれ番号の振られたセリーでメロディーを作り、そこに和声を付ける場合、1の音には12、2、3を和声音としてあてがい、2の音には1、3、4、というように極めて経済的な方法で和声を作り上げます。これだけだとやや多彩さに欠けるので、1の音にはH音、2の音にはC音、3の音にはCis音というように半音階の音を付け加え、さらに低音部には全く違った起源のメロディー(例えばルツィファー・フォーミュラの一部の音形)を演奏させる事によって、単純な作業から、統一性がありしかも変化に満ちた和声進行を生み出す事に成功しています。
第1シンセサイザーはこの音形に加えさらにこの作品の和声的、時間的構造のおおもととなる、極端に拡大され、持続音としてしか聴き取れないスーパー・フォーミュラも演奏します。シュトックハウゼンは第1シンセサイザーのパートを2組のトラックに分けて録音しているので、この持続音にしか聞こえないスーパー・フォーミュラのトラックだけを取り出して聴く事ができました。この極端に拡大されたメロディーを認識するためには楽譜を見ながらかつかなり集中して聴く必要があります。もちろんもとのメロディーを頭の中で鳴らす事も出来なくてはなりません。
ほかのパートが重なってしまうと、この持続音からスーパー・フォーミュラをイメージする事はほとんど不可能ですが、この持続音の変化によって作品の大まかな和声的、時間的構造が規定される、と言う点で非常に重要なパートですし、一見軽やかに聞こえるこの作品も少し違う視点に耳を澄ますと、ほとんど静止したような持続音も同時に聴き取る事が出来る、つまり極小から極大の音楽事象が同時に起きている(そしてそれらにはフラクタルな関係性も存在している)ということを認識する事ができます。
1週間にわたりこの曲について詳細に解説し、楽譜上の全ての音符について説明したといっても過言ではないレクチャーでしたが、次回の講習会では「日曜日」の最終場面である「Hoch-Zeiten」のアナリーゼです。しかもこの作品はあまりにも複雑過ぎるので2年がかりでのアナリーゼになるそうです。ドイツ初演でその美しさと極度な複雑さを体験しているので、今からどのようなものになるのかとても楽しみです。