日曜日


 例年と同じく、今回の講習会でもシュトックハウゼン自身によるコンポジション・セミナーが行われました。
 今回のテーマは「日曜日」の第1場である「Lichter-Wasser(光 - 水)」でした。
 「日曜日」は7つのオペラからなる「光」の最終日に演奏される作品ですが、Lichter-Wasserはこのオペラの中で現時点で発表されている唯一の作品で続きの部分は現在作曲中で、おそらく今年(2002年)中に全体が完成するものと思われます。
 コンポジション・セミナーのために全受講生に配付された詳細なテクストや講習会の時期に発売されたLichter-Wasserのスコアに「日曜日」全体の構成のプランが紹介されていますので、まずそれを紹介します。


 第1場 Lichter-Wasser 光 - 水 [日曜日の迎え](1999年完成)
  ソプラノ独唱、テノール独唱、シンセサイザー、オーケストラ
   初演: 1999年10月ドナウエッシンゲン


 第2場 Engel-Prozessionen 天使 - 行進(2000年完成)
  (7つの言語で歌われる)ア・カペラ合唱
   初演: 2002年10月アムステルダム


 第3場 Licht-Bilder 光 - 絵(詳細不明)
  ソプラノ独唱、テノール独唱、バセットホルン、トランペット、フルート、シンセサイザー

 第4場 Duefte-Zeichen 香 - 徴(2002年作曲開始)
  7人の歌手、ボーイソプラノ、シンセサイザー
   初演予定: 2003年8月ザルツブルク


 第5場 Hoch-Zeiten 至高 - 時(結婚)(2001年完成)
  2つの異なるホールで同時に上演される(5つの言語を歌う)合唱とオーケストラ
   初演: 2003年1月サンタ・クルス・テネリフェ


 Licht-Fest 光 - 祭 [日曜日の別れ](詳細不明)


 Lichter-Wasserのもっとも大きな特徴は、29人のオーケストラの各奏者が客席の中に散らばるように配置され、ミヒャエルとエーファの両フォーミュラが音色旋律のように1音(あるいは数音)づつ違う楽器によって演奏されるので、2つのフォーミュラが聴衆のまわりを不規則にぐるぐると運動しているように聴こえるということです。初期の成功作である「少年の歌」で初めて試みられた空間音楽の極めて洗練された姿がここにあると言って良いでしょう。
 つまりこの作品の面白さを真に味わうためには実演を体験するしかないのですが、シュトックハウゼンは研究用などの目的のために8チャンネルのこの作品のミックスを作成していて、今回のコンポジション・セミナーではこのミックスを聴く事が出来ました。もちろん実演には及ばないものの、ステレオにミックスされたCDの録音を聴くよりははるかにクリアーにこの作品の音の空間移動の魅力を味わう事が出来ました。
 この作品をCD(全集CD 第58巻)でお聴きになった方はお分かりかと思いますが、シュトックハウゼンの全作品の中でも類い稀なこの作品の非常に美しい響きが、音色を変化させながらぐるぐると体の周りを回転するように運動しながら聴こえて来る様はこの世のものとは思えませんでした。
 しかもこの8チャンネルのミックスを、ある時はオーケストラの楽器だけ、またある時はオーケストラにシンセサイザーと二人の歌手が加わった(スコア通りの)形で、というように様々な方法で聴く事ができたのは作品理解に非常に有益で貴重な体験でした。
 この空間移動も膨大なスケッチを作成する事によって綿密に計画されていますし、その他、フォーミュラの扱い、何度か表れるホモフォニックな挿入部分、太陽系の惑星や衛星の名前をひたすら連ねた文字通り「飛んだ」歌詞、「彗星」とシュトックハウゼンが呼ぶ装飾的な挿入音形など、とてもここでは紹介できないほど膨大な情報がシュトックハウゼン自身の講義や詳細なテキストから紹介されましたが、最も印象に残ったのはシュトックハウゼンの職人気質です。
 「光」全曲の作曲に先立ち、7日間のこの巨大オペラの設計図を1分間の3声のスーパー・フォルメルとして作曲し(つまりこの時点で各オペラ、各場面の演奏時間の配分、中心音などがかなり細かく規定されているということです)、その設計図に基づいて建築家のように順序立てて細部を仕上げていく方法をとっています。Lichter-Wasserの作曲ももちろんこうした作業の一貫として行われているのですが、テキストに収録された膨大なスケッチの一部を見ると、スーパー・フォルメルの楽譜のコピーを何部も作成しそこに色鉛筆でさまざまな書き込みやテンポや演奏時間の計算などを行い作品の細部の構造の決定を行っている事がよく分かるのです。そこからさらに新しいスケッチを作成したり、ある音楽素材のすべての展開可能性を全て列挙して検討を加えたりと(=セリエル!)、バッハ、ベートーヴェン、シェーンベルクというドイツ音楽の論理的な作曲思考の伝統に連なる精神性を強く感じさせます。
 しかし時には、自分で決めたルールや計画から意図的にはずれた(つまり非論理的な)ものを作曲時点で付け加えてしまうという非常に興味深い傾向がシュトックハウゼンにはありますが、これは今に始まった事ではありません。初期の電子音楽の「習作 I 」はサイン波の合成だけで全曲が構成されるように厳密に計画されていますが、1か所だけこの文脈に全く関係のない花火のような音を挿入したり、「マントラ」では二人のピアニストが能の様な声をかけ合う(「落ち」までついた)ユーモラスなイベントが用意されていたりと、それぞれの作品の最低1か所にはこのような「自由な挿入」があるといっても過言ではありません。
 このLichter-Wasserを始め「日曜日」では、「光」の作曲上のルールに従えば本来使用されなくてはならないはずのルツィファーのフォーミュラが一切登場しません。「日曜日」はエーファとミヒャエルの神秘の結婚がテーマとなっていますし、「土曜日」でルツィファーは死んでいますから、「日曜日」にルツィファーのフォーミュラが出て来るのは相応しくないと判断し、当初の計画を変更したという事です。しかし、この計画変更はもともとの作曲素材の3分の1を丸々カットするというかなり大規模なものになるので、シュトックハウゼンは自分なりの(やや強引な)理由付けを行いました。それは、削除されたルツィファーのフォーミュラの部分を「ルツィファーの牢獄(笑)」という独立した作品として「日曜日」とは切り離して演奏するように設定し(ご丁寧に楽器編成まで指定されています)、スキンヘッドで革の黒いズボンを吐いた(ヘビメタ風の)柄の悪い兄ちゃんが、どこかの地下室かなにかで人知れず演奏すればよい(笑)、ということにしてしまったというものです。
 ところで、先に少し触れた「彗星」と呼ばれる部分は、二人の歌手が太陽系の惑星や衛星の名前を歌っている背景で装飾的に演奏される音形ですが、この音形の素材としては半音階や自由な音程を使ったアルペッジョが使用されていますから、この部分も「自由な挿入」と言って良いでしょう。もっと細かくスコアを見れば至る所でフォーミュラやその核セリーに自由な装飾音型をつけたり、部分的にセリーの順番を変えたりということも数多く発見出来ます。
 普通の作曲家ならこのようなことは不思議ではないかもしれませんが、シュトックハウゼンの場合は作曲にあたって膨大なスケッチを作成して厳密な構成を計画するという多大な作業を経た上で、それに相反する直感的で理論を超えた変更を行なっている訳で、思考の過程としては非常に興味深いと言えるでしょう。
 むしろ、受講生の作曲家の方にそういう意味では理論に囚われた「頭の硬い」人がいて、講義のあとの質問時間に「私はこの作品を詳細にアナリーゼしてみて気が付いたのだが、どうしてここに、フォーミュラと関係のない音があるのか?」というような質問をして、シュトックハウゼンが「別に大した理由はないから説明のしようもない」といった醒めた返答をする、ちょっと笑える場面もあったりしました。
 この講義のあとの質問コーナーは、受講生が自由に会場の中心にセットされたマイクのところへ進んで質問していいのですが、ちょっと感じの悪い質問や間抜けな質問を繰り返す人も何人かいて会場中の受講生が思わずため息をついてしまったりする場面も少なくありませんが(笑)、そのような質問にも激昂せずにきちんと返答するシュトックハウゼンは几帳面と言うかなんというか... そう、「偉い」と思いました(汗
 質問に答える過程で話がしばしば脱線して、例えば宇宙の話などになると、シュトックハウゼンが「こういう話をすると、まわりの人間が、自分の事をクレイジーだと言うんだけどね。」なんて自分自身を茶化したりする場面もありましたが、逆にそれが自分自身への自信と確信の強さを浮き彫りにしていました。
 ちなみにこの講義に使われた貴重なスケッチやスコアの抜粋が満載の英文のテキスト(部分的にカラーのページも有)は、限定数ですがStockhausen Verlagより入手する事ができます。興味のある方は是非とも美しいスコアとともに購入する事をお勧めします。

 この講習会では、コンポジション・セミナーと銘打った全受講生を対象としたレクチャーは行われますが、シュトックハウゼンが個々の作曲家の受講生の譜面を見て指導するということはありません(運が良ければデモテープなどを聴いてもらう事はできるかもしれませんが)。しかし、シュトックハウゼンはこのセミナーを通して自分の作曲のプロセスを包み隠す事なく克明に説明する訳ですから、作曲家にとってはひとつの「良いサンプル」として大きな刺激になる事に間違いはありません。もちろん演奏家や愛好家の人にとっても作品の理解や演奏の大きな助けになることは言うまでもありません。

 今回の講習会の演奏会のプログラムの裏表紙は「金曜日」のフォーミュラによる詳細な設計図の自筆譜の上に「Lernen mit Fleiss」という文字が大きく書かれたデザインになっていますが、これは訳すと「こつこつと学習」というような意味になります。
 つまり、作品を作る(作曲)にしても、演奏するにしても、聴取するにしても、なんとなくやるのではなく徹底的に努力して学習する事が必要である、というシュトックハウゼンの信条がここに示されているという訳です。
 シュトックハウゼンの作品の聴取という面に絞っても、なんとなく表面的に聴いただけで彼の音楽の神髄が理解されることは決して有り得ず、シュトックハウゼンの作曲技法、コンセプトなどをテキストを読んだりスコアを研究し、それを実際に鳴り響く音として何度も丹念に聞き返す事によって、作品の本当の素晴らしさをようやく理解できる、というのは初期から現在に至る全ての作品について言えます。
 この辺の事情が、一般的な聴衆がシュトックハウゼンの作品に近寄りがたく感じる一つの原因となっていて、「神秘主義に溺れた誇大妄想の作曲家」などといった荒唐無稽なレッテルがこの状況をさらに悪化させている訳ですが、ポピュラー音楽だけに限らずクラシック音楽の多くの作品でも新奇で目を惹くいわば「キャッチー」な効果を利用して、ちょっと聴いてみると面白いけれども、聴けば聴くほど底の浅さが露呈してくる質の低いものが多い中、シュトックハウゼンの作品はこのようなキャッチーな要素が皆無なだけに初めて聴いた時には良さが殆ど分からないけれども、意識を高く持ち、強い集中を以て聴き込めば聴き込むほど、それまで隠れていたように見えた(しかしそれは初めから明らかな形で存在していたのです)本来の深遠な魅力が姿を表してくるという恐るべき特徴を持っています。その奥の深さは例えばベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏のそれに匹敵すると言っても良いでしょう。

 いまだに日本中に蔓延しているアンチ・シュトックハウゼンの逆風の中、敢えて私がこのようなサイトを作ってシュトックハウゼンの音楽の素晴らしさを多くの人に知ってもらおうと稚拙な文章を書き続けている理由はここにあります。この文章を読んで少しでも興味を持った方がシュトックハウゼンの音楽に親しむようになってもらえると私は嬉しいですし、シュトックハウゼンは聴いた事があるという方にもより深く理解していくきっかけになれば、と思います。もちろん、どのような作品から聴いていけばよいか、というような質問等ももちろん大歓迎です。(もっともキュルテンでの本講習会に参加して数多くのコンサートでの実演に接するのがもっとも手っ取り早いですが)

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