オクトフォニー


 「オクトフォニー」は『光』の「火曜日」の第2幕全体にわたって生演奏とともに再生される70分あまりの8チャンネルの電子音楽です。「火曜日」はミヒャエルとルツィファーの戦い(要は善と悪の戦いということです)の部分で、この第2幕ではミヒャエル率いるトランペット軍団とルツィファー率いるトロンボーン軍団が楽器を武器代わりに客席の通路も使って複雑に動きながら戦いを繰り広げるという内容です。その背景で流されるオクトフォニーは重厚な電子音のドローンにミサイルの発射音を模したような音響が次々と現れるような音響で、その華やかな音響はビル・ラズウェルがしばしばサンプリングしていることに象徴されるようにテクノやダブのミュージシャンらをも魅了しています。
 当初アナウンスされていた「オクトフォニー」としての演奏形態であれば、この電子音楽のみが演奏されるということだったのですが、今回は3人の楽器奏者を伴う変則ヴァージョンでの上演となりました。他の「光」関連の作品と同じくこの「火曜日」にも部分的にこのオペラを独立した作品として演奏するための種々のヴァージョンがあります。今回はその内のオクトフォニーとソリストのための3つの作品が連続して演奏されました。
 トロンボーン奏者が演奏する「侵略への合図」(このヴァージョンではトロンボーン奏者が電子音楽と戦うという設定になります)、トランペット奏者(4分音を演奏できるようにバルブに特別な改造をほどこしたフリューゲルホルンを演奏します)が演奏する「ピエタ」、シンセ奏者による「SYNTHI-FOU(「シンセ狂」とでも訳せばいいのでしょうか)」です。これら3つの作品はオクトフォニーのそれぞれ別の部分と共に演奏されるので、全体として各奏者が代わる代わる演奏するような格好になります。つまり、まず電子音のみによる部分があり、しばらくしてトロンボーン奏者が客席に登場、「侵略への合図」の3分の2くらいの部分を演奏した後退場し、ステージ上にトランペット奏者が現れ「ピエタ」を演奏します。この後再びトロンボーン奏者が客席に現れ「侵略への合図」の残りの部分を演奏します。その後ステージ上にシンセ奏者が現れ「SYNTHI-FOU」を演奏し全体を締めくくる、という構成です。つまり楽器奏者を大幅に減らした「火曜日」第2幕簡易ヴァージョンといった趣にアレンジされた訳ですが、「火曜日」の第2幕のど派手な音響が大好きな私にとっては非常にうれしい趣向でした。
 
 まず「オクトフォニー」の立体的で迫力に満ちた音響に圧倒されましたが、そこから不意に客席へ登場したアンドリュー・ディグビーのトロンボーンの演奏はさらに圧巻でした。極めて複雑な電子音とのタイミングの関係(クリックの類は使いません)を把握し、多彩な奏法を駆使した複雑なパッセージを次から次へと繰り出し、さらにそれを楽器を色々な方向に向けながら客席の通路を動き回る(もちろんこれらの動きは記譜されています、そしてこの動きによって音楽の空間移動の効果がもたらされることは言うまでもありません)という、超絶技巧という言葉では言い表しきれない大きな負担を演奏者に課しますが(しかもこれらすべてを暗譜で演奏するのです!)それを自然体でこなしていたことは驚くべきことでした。

 この驚嘆すべき演奏に引き続き、マルコ・ブラウが「ピエタ」を演奏しました。ところで、前回まで本講習会でトランペットの講師を勤め、シュトックハウゼンの息子でもあるマルクス・シュトックハウゼンは今回は不参加でした。理由はそれまで長年父の作品を演奏し続けることに精神的、肉体的に疲れてしまったこと(彼の功績とそこに至までの献身的な努力などを考えればそれは容易に理解できます)と、自分自身のジャズ奏者としての活動に専念したいという2つの理由で父の元から離れる決断をした、ということですが、正直この穴は大きかったです。マルコは「水曜日」の大曲にして超難曲である「ミヒャエリオン」の初演に参加するなど、シュトックハウゼンとの関わりも深いのですが、マルクスのために作曲されたこの「ピエタ」を「代わり」に演奏するというのはどう考えても荷が重かったとしかいえません。彼もテクニック的には素晴らしいものを持っているのですが、演奏に対する集中度、それによってもたらされる音楽の緊張感がマルクスと比べると圧倒的に不足しているのです。しかもこの「ピエタ」の電子音楽は「オクトフォニー」全曲の中で最も静的な部分でドローンに徹していますから、余計にソリストの音楽性が問われるのですが、直前まで演奏していたアンドリューの演奏がすばらしかったこともあり、かなり間の抜けた、より直接的な表現をすれば思わず寝てしまいそうになった演奏となってしまったのです。そもそも、マルクスのような天才プレーヤーと比較するのが間違っているのかもしれません。。。でも彼の演奏する「シリウス」や「上唇の踊り」を生で体験したからにはこの「ピエタ」も彼の演奏で聴きたかった、というのが正直な感想であり、彼の復帰を願わずにはいられません。

 この演奏に引き続き、再びアンドリューが登場し演奏しますが、この部分の電子音楽はねじれるようで、かつ非常にきらびやかな音響と相変わら卓越した彼の演奏によって、「ピエタ」で失いかかった音楽の緊張感が、再び戻ってきました。
そしてステージ上に積み上げられた数々のシンセに照明が当たり、アントニオ・ペレス・アベリャンが演奏を始めます。まず始めはコラール風な音楽です。この部分は本来合唱とともに演奏されますが、それを想起させるようなシンセサイザーによる荘厳なオルガン風のハーモニーが、音楽を別の次元へと連れていきます(実際この部分は「彼の世」と名付けられています)
 この「ウォーミング・アップ」を経ていよいよオクトフォニー全曲のクライマックスの「SYNTHI-FOU」へと突入します(実はこの推移部が非常にスリリングだったりします)。いや、正確には「クライマックス」というのはふさわしい表現ではありません。シュトックハウゼンはそのような古典的な形式感とは断絶したところで音楽を構成していますから。しかし、この「SYNTHI-FOU(=ピアノ曲XV)」を敢えてその古典的な形式感に基づく言葉で表現するなら、「始めから最後までクライマックス」とでもいえばいいのでしょうか、ほとんど休む暇なく音色を変化させ続けながら演奏し続ける(全曲で130近くの音色を使います)シンセパートの音響の多彩さと音楽の高揚感は下世話な表現をすれば「トリップ物」です。「火曜日」の初演ではやはりシュトックハウゼンの息子であるジーモンが演奏しましたが、今回の、数年来シュトックハウゼン作品のシンセ・パートの演奏だけでなく、シュトックハウゼン出版の浄書のアシスタントとしても活躍する多才なアントニオによる演奏は、多くの面でジーモンのそれとは異なっていました。とはいえ「ピエタ」のようにネガティヴな差異ではなく、非常にポジティヴなものです。二人の使っているシンセは違う機種ですから当然音色もちがいますし、譜面上で指定されている「インプロヴィゼーション・ウィンドウ」の部分も当然全く別の音楽になっています。この部分は演奏者が指定された拍数の中で自由に「即興演奏」(ただ純粋な即興ではなく事前に演奏内容を決定しておきます)するのですが、アントニオはエーファのフォルメルを露骨に演奏するなど、分かる人には爆笑物の音形を繰り出しサーヴィス精神満点でしたが、もちろん演奏自体も充実したものでした。
 蛇足ですが小柄で眼鏡をかけたアントニオの風貌は「シンセ・オタク」のキャラにぴったり(実際そうなんでしょうけど)だったこともお伝えしておきます。

 ただ一つ残念だったのはスピーカーの配置です。
 前述の通りこの曲では8つのスピーカーをキューブ状に配置しますが、本来体育館であるこの演奏会場ではそれほど高くに上方のスピーカーを配置できないのです。シュトックハウゼンは上下のスピーカーの高さの差を14メートル取るように求めていますが、これはかなり大きな会場でないと無理です。そういうわけでオクトフォニーで重要な上下の音響の動きがそれほどクリアーには再現できていなかったのです。「水曜日の別れ」ではこれがうまくできていたのですけど、それはこの作品の音響が静的だったから、この欠点が露呈しなかったのだと思います。

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