土曜日


 今回のシュトックハウゼン講習会の講師によるコンサートは基本的に「光」からの抜粋の作品が演奏されました。唯一「光」関連でなかった演奏会のプログラムは、「ツィクルス」「ピアノ曲X」「テレムジーク」という古典的な名曲から構成されていましたが、こちらの方はスチューデント・コンサートの準備の都合で私は聴くことが出来ませんでした。
 それ以外のコンサートは「金曜日」全曲の準コンサート版、それからそれぞれ「月曜日」「木曜日」「土曜日」の抜粋から構成された3つのプログラムという構成でした。
 そしてコンポジション・セミナーは「日曜日」の中で唯一発表されている作品「リヒター・ヴァッサー」がテーマでしたのでまさに「光」漬けの講習会だったと言ってもいいかもしれません。
 「光」は「月曜日」「火曜日」「水曜日」「木曜日」「金曜日」「土曜日」「日曜日」という7つのオペラから成り、それぞれのオペラを1晩ずつ演奏していくので全曲の演奏に1週間かかるという超大作(現在「日曜日」のみ未完成)ですが、それぞれのオペラの各場面は独立した作品として単独でも演奏可能であり、「コンサート」という基本的なフォーマットの中で簡単な衣装、照明、動きなどを伴った準コンサート形式で演奏されました。
 
 ここではまず「土曜日」の抜粋を中心としたコンサートについて書きたいと思います。
 このコンサートは基本的に「土曜日」の抜粋から成りますが一曲だけ例外があります。それは「SUKAT」という「火曜日」からの派生曲です。つまりこれは「光」の一部分ではなく「火曜日」の音楽素材を使ってスージーとカティンカのデュオとして作曲された全く独立した作品なのです。
 この作品は青と緑という2つの原色を使った強烈な照明とコスチューム(例外的にカティンカの片足だけ赤、これはこの曲の素材になった「火曜日」を支配する色)で独特の激しい動きを伴って演奏されますが、一番物凄かったのが音楽それ自身です。シュトックハウゼンは「月曜日」の作曲当時以来、スージーやカティンカと協力してフルートやバセットホルンにおける微分音の演奏について研究していますが(半音を12分割する微分音のフィンガリングを編み出しました)、この「SUKAT」はその研究の成果が遺憾なく発揮された恐るべき作品です。この曲はこのコンサートが世界初演ながらCDには録音されていたので、この曲について知っていたつもりなのに、実際に聴くまでここまで凄まじい作品だとは気が付きませんでした。のっけから微分音、特殊奏法が目まぐるしく連続し、強烈な照明、衣装、動きと組み合わさることにより恐るべき演奏効果を発揮していました。後半にはこれらの至難なパッセージを演奏しながら同時に声も出すというほとんど曲芸的なパッセージがあったりと、8分弱の短い曲ながら今回の講習会の中でも「金曜日」に次ぐ大きなインパクトを私に与えました。
 
 さてこの日のコンサートの始めの曲に戻りましょう。
 始めに「土曜日」の第1場でもある「ピアノ曲XIII」がエレン・コルヴァーによって演奏されました(実際のオペラではピアノ独奏にバス歌手が加わり「ルツィファーの夢」と題されます)。この作品はピアノ作品ながら内部奏法などの特殊奏法、補助的な打楽器、ピアノを演奏しながら声を出す、若干の演劇的要素などが楽譜に記譜されている非常な難曲です。
 かなり絞った照明の舞台に黒い衣装を着たエレンがゆっくりと舞台に現れ低音の短9度という鋭い和音から演奏は始まりました。非常におどろおどろしい音楽でピアノのボディーをノックしたり弦を引っ掻いたりする様々な特殊奏法がこの雰囲気を助長しますが、それらのすべてが一体感を持って美しいサウンドを生み出しているのが印象的でした。「アイン、ツヴァイ...」などと数を数えるイヴェントも含めてすべての特殊奏法は「光」全曲の構想の原点である「スーバー・フォルメル」という3声のメロディーの一部であり、適切に配置されたマイクを使って通常のピアノの音と適切なバランスを保つことによりこれらの一体感が生み出されているのです。エレンは弦を引っ掻くために椅子から立ち上がったり鍵盤の両側に配置されたインディアン・ベルを鳴らしたり、鍵盤の上に片足を乗せてクラスターを演奏したりと視覚的にも楽しめるのですが、一番インパクトが強かったのが曲のクライマックスでピアノの奥にあらかじめ用意されていたおもちゃのロケットを発射させるところでしょう。「ドライツェーーン」と叫びながら5発のおもちゃのロケットを発射させるのですが、ロケットが発射する一瞬の間だけ照明がぼわっと明るくなってまたすぐ暗くなるというのが5回繰り返されるのですがこれがもともと馬鹿馬鹿しいイヴェントをさらにユーモラスなものにしていました。全体的な雰囲気としては非常に陰鬱で魔術的な(そして演奏至難な)この曲に突然こうした親父ギャグとしか言い様のない要素が忍び込むという物凄いギャップは、特に近年のシュトックハウゼンの作品の醍醐味といえるでしょう。シュトックハウゼンの近作には必ずといって良い程こうしたギャグ的な挿入が1〜数カ所あり、もちろん本人も意識してやっているのですが、スノッブな批評家や「神秘主義で頭がおかしくなって」などとシュトックハウゼンを中傷する輩をこれらのギャグによって文字どおり笑い飛ばしているかの様です。
 
 休憩をはさんで「小鼻の踊り」と「上唇の踊り」という「土曜日」の第3場からの抜粋が先述した「SUKAT」を挟んで演奏されました。
 「小鼻の踊り」は打楽器とシンセサイザーのデュオで、原曲のオーケストラのパートをアレンジしたシンセのパートに打楽器奏者のソロが加わるという構成になっていますが、この打楽器奏者は突然変異したドラムセットとしかいいようのない非常に奇妙なヴィジュアルの打楽器群を演奏します。アンドレアスはこの変則的で特殊な楽器も含んだドラムセットを物凄いグルーヴ感で演奏しながら同時に歌まで歌います。その歌がなんとも下手くそでたまらないのですが(笑)、とにかく打楽器のパートが異常に複雑なのでそのお世辞にもうまいとは言えない歌声が何故か緊迫感を持っていて非常に楽しめました。こればかりは実際に見て頂かないと分からないのですが、要所要所でバチをもった両手を上にかざして(ロック系のドラマーがいかにもやりそうな)決め(?)のポーズを取るので余計に演奏が大変になるのですが、その必然性のなさがこれまた大受けでした。
 とにかくこの曲はヴィジュアル的には最初から最後までギャグとしかいいようのない感じなのですが、音楽だけ取り出すと非常に緊張感溢れる素晴らしい音楽なのです。この一見相反する要素をいとも簡単に組み合わせてしまうシュトックハウゼンの余裕には完敗でした。
 
 この日の最後は「上唇の踊り」でした。
 この曲はシンセと二人の打楽器奏者がオーケストラ・パートを奏するのに合わせてトランペット・ソロが加わる曲ですが、この曲におけるマルクスの演奏は多少のミストーンにも関わらず壮絶としか表現できない非常に集中度の高い演奏でした。
 この曲のトランペット・パートは非常に細かいパッセージと連続する最高音域が演奏者にとっては非常に過酷な作品で、小トランペット協奏曲と呼んでも良いくらいです。実際ソロ以外の楽器が休みになる長いカデンツァ風の部分もあり、ここでは床に座ったり寝転がったりして演奏することが要求されます。こうした至難なパッセージの連続にも関わらずほとんど休みのスペースがないため演奏者には人並み外れたスタミナが要求されるのですが、マルクスは強靱な精神力とテクニックでこれらの至難なパッセージを輝かしい音色で演奏し続け、カデンツァのクライマックスでの最高音も完璧に演奏し、非常に濃密だったこの日のプログラムの素晴らしい最後を飾りました。続きを読む

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